自分の青春時代に、一度でも触れたポップスやロック、映画音楽を洋楽・邦楽ともに紹介していきます。
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自分の青春時代に、一度でも触れたポップスやロック、映画音楽を洋楽・邦楽とも収集している。 '60年代と'70~'75までの英・米
POPS&ROCKや日本のグループサウンズを語らせたら止まらない。

  
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日本のGSの歴史 38
2009/ 07/ 03 ( Fri ) 21:44:43
インスト・バンド対決、バーンズ対ユニコンズ

カルトGSクラウン編

 シングル盤1枚で解散したGSは数多いが、このバーンズはアルバムを1枚出して解散したという珍しいバンドである。通常GSとは、ヴォーカルグループを指して言うが、ヴォーカルを入れなかった点でも珍しい(アルバムでは一部の曲で歌っているが、本格的なヴォーカルではない)。実力は、間違いなくB級GSに属すが、ヴォーカルグループというGSの定義から外れるのでここで紹介することにした。
 アルバムは、ビートルズを始め、ジミヘン、クリーム、アニマルズなどのロックとサム&デイヴオーティス・レディングなどのR&Bの全曲カヴァーである。レパートリーも広く、演奏も上手いが、ヴォーカルには全く力を入れていない、演奏主体のバンドである。


      バーンズ唯一のアルバム

1.「「R&Bイン東京」’69年2月


 ユニコンズは、 ヴァン・ドッグス脱退組が作ったバンドとも彼等の覆面バンドとも言われるが実態不明な企画物バンドである。
バニーズの影響かクラシックの名曲を編曲し、エレキ化した同時発売のシングルを2枚出しただけだが、これが強烈なファズがかかったサイケインストになっている。


      ユニコンズのシングル・ディスコグラフィー

1.「英雄/未完成」’68年5月
2.「悲愴/運命」’68年5月


 自分は、両グループともリアルタイムでは知らず、CDになってから始めて聞いた。インスト物はあまり好きではないので特に印象には残らなかった。

日本のGSの歴史 37
2009/ 07/ 02 ( Thu ) 23:47:07
アングラおよびコミックバンド対決、イーグルス対トーイズ対スカイ・ホークス対バロン対ルート・ファイブ対ロビンフッズ対レンチャーズ

アングラ・カーニバル

 GSの末期は、歌謡曲化するかアングラやコミックバンドに走ったバンドが多かった。
しかし、アングラを代表するフォークルの”帰って来たヨッパライ”は、GS全盛期にヒットしており、これに追随したダーツの”ケメ子の歌”とジャイアンツの”ケメ子の唄”で最高潮に達した事は以前にも述べた(ケメ子対決)通りである。こういったアングラを最初から掲げてデビューしたGSも多い。

 イーグルスは1966年に東京・日野の高校生によって結成されたチェックメイツがその前身である。立川のジャズ喫茶「ドミノ」にレギュラー出演していた。’68年4月に”昭和二世”というアングラ曲でデビューした際、イーグルスに改名された。
続いてオムニバスアルバム”アングラ・カーニバル”に参加したが、この頃には既にアングラブームは去っていた。
 つまらない歌詞に惑わされ気味だが、イーグルスにはガレージに通ずる妙なビート感と若さが溢れていた。シングルは1枚のみだが、”アングラ・カーニバル”に収録されている彼等の曲は、”高校五年生/咲かせて頂戴愛の花/結婚してチョ/好きだったペチャ子/あー神サマ”である。その他、”好きだったペチャ子”の元バージョンでシンプルなガレージ・フォークロックである”あの日の恋”がCD化されている。


      イーグルス唯一のシングル

1.「昭和二世/青春ゴーゴー」’68年4月


 知る人ぞ知る実力派GSが、トーイズである。彼等は、大映レコード唯一のGSであった。インドネシア人の慶応大学院生ルディ・アブドをヴォーカルに擁し、長岡和幸のギターは出色であった。シングル1枚で解散したが、両面で聞かせる長岡の早弾きギターには、鬼気迫るものがある。アングラでなければ、B級GSとして充分通用する実力派であったと思う。


      トーイズ唯一のシングル

1.「お宮さん/しょんがらゴーゴー」’68年3月


 スカイ・ホークスもアングラGSにしておくのはもったいなかった。”帰って来たヨッパライ”のアンサーソングとして”天国からのお迎え”でデビューするが、B面の”リボンの娘”は、GSらしい名曲で、彼等もB級実力派で通用すると思う。1枚のシングルで解散し、チェックメイツというバンドになったが、当時この名前のバンドがやたら多いので混同してしまう。


      スカイ・ホークス唯一のシングル

1.「天国からのお迎え/リボンの娘」’68年5月


 バロンの前身は、尾藤イサオのバックバンドを務めていたジュリーとバロンで、鍵山珠理をヴォーカルに迎え”ブルー・ロンサム・ドリーム”でデビューしている。純粋にバンド単独でデビューした曲は、”恋の億万長者”というコミックソングであった。(B面はサイモン&ガーファンクルのカヴァー)結局、両方とも1枚のシングルで解散している。


      ジュリーとバロン唯一のシングル

1.「ブルー・ロンサム・ドリーム/涙で書きたい」’69年6月

      バロン唯一のシングル

1.「恋の億万長者/コンドルは飛んで行く」’70年11月


 ルート・ファイブのデビュー曲も”俺は天下の色男”というしょうもないタイトルのアングラ曲だが、B面の”リリー”は、GSらしい名曲である。
彼等もこのシングル1枚で終わった。


      ルート・ファイブ唯一のシングル

1.「俺は天下の色男/リリー」’68年7月


 ロビンフッズも1枚のシングルしか出していないが、両面ともアングラソングである。A面は、先に挙げた”アングラ・カーニバル”にB面は”カルトGSコロムビア編”に収録されている。


      ロビンフッズ唯一のシングル

1.「落第生バンザイ/貫一お宮の唄」’68年3月


 全く正体不明のアングラGSが、レンチャーズである。レコードのジャケットにもメンバーの写真が出ていないし、各メンバーのプロフィールも発表されなかった。売れても番組などには出ず、テープだけで押し通すというプロジェクトだったが、メンバーを呼んでくれる番組などなかった。
 自分は、”アングラ・カーニバル”で彼等を知ったが、怪獣寸劇が導入されたしょうもない曲であった。


      レンチャーズ唯一のシングル

1.「「サイケ・カッポレ/ミックスモンスターズ」


 GSフリークを自認しているが、ここに挙げたアングラGSは、すべてCDになってから聞き、リアルタイムではバンド名さえ、一つとして知らなかった。

日本のGSの歴史 36
2009/ 07/ 02 ( Thu ) 20:13:59
女性ヴォーカルを配したGS対決、レモン・ルーツ対ムーンドッグス対デイ&ナイツ対チコとビーグルス

レモン・ルーツ

 女性ヴォーカルを配したGSでは、麻生レミフラワーズ森野多恵子ホワイト・キックスが有名であるが、他の項で書いたので、ここでは無名バンドを紹介する。

 まずレモン・ルーツであるが、このバンドは、スケルトンズの後進である。デビュー曲”想い出のビアガーデン”の発表に当たって、都内の各ビアガーデンを回って、キャンペーンを張ったが、大してヒットしなかった。自分もリアルタイムでは知らなかった。B面は、さわやかで耳に残るメロディーである。レコードのプレス数が少なかったせいであろうが、EP盤では、プレミアム価格がついている。両面ともCD化されている。


      レモン・ルーツ唯一のシングル

1.「想い出のビアガーデン/オレンジのくちづけ」’69年11月


 ビートルズ大好き人間たちが集まって結成されたバンドが、ムーンドッグスだった。彼等は、ロック系のビートポップスをやりたかったのであろうが、デビューシングルでは、女性の双子ヴォーカルデュオであるパピーズと組まされて歌謡曲をやらされている。B面のギターソロは中々であるが、この1枚のシングルしか出せなかった。


      ムーンドッグス唯一のシングル

1.「おねがいよ/愛がすべて」 ’68年2月


 GSというよりムード歌謡グループという位置付けに近いデイ&ナイツは、浜口庫之助門下の作曲家三枝伸とによって結成された。彼は、歌謡曲とロックやポップスなどの新しい音楽との溝を埋められるような音楽ジャンルの確立を目指し、グループを結成したのである。早い時期にデビューしているが、最初から曲は歌謡曲である。 
 ヴォーカルメンバーだけでも男性二人に女性二人以外に、二人のギタリストのうち一人はヴォーカルも兼任するなど、ほぼ全員が歌うコーラスグループになっている。4枚のシングルをリリースしているが、3枚目はGSらしいテンポの良い曲だ。全曲、リーダーの三枝が作詞・作曲している。


      デイ&ナイツのシングル・ディスコグラフィー


1.「涙の東京/星ふる街」’67年3月
2.「雲よ、あの娘に/君と見た夕日」’67年6月
3.「バラをあの娘に/オリエンタル・アイ」’67年10月
4.「泣かないでおくれ/いつものところ」’68年5月


 チコとビーグルス もGSと呼べるかどうか微妙である。彼等までGSに分類すると、ピンキーとキラーズまでGSに入ってしまうが、デビュー曲がジェノバとの競作となった”帰り道は遠かった”だった事と、”カルトGSモンスターズビクター編”に3枚目のシングル曲”新宿マドモアゼル”が挿入されていた事から、GSとして列挙した。自分はこの2曲しか知らないが、どちらもGSらしさは感じられた。


      チコとビーグルスのシングル・ディスコグラフィー

1.「帰り道は遠かった/思い出だけで」’68年12月
2.「遊びつかれた帰り道/いとしのジェニー」’69年4月
3.「新宿マドモアゼル/港のマリー」’69年9月
4.「夕日に祈りを/傷だらけの人形」’70年4月
5.「オンボロ汽車ポッポ/愛の掟」’70年9月


 4グループともあまりGSらしさは感じられなかった。”帰り道は遠かった”以外は、皆CDで知った曲ばかりである。

日本のGSの歴史 35
2009/ 07/ 01 ( Wed ) 22:04:33
良い子のGS対決、ポニーズ対ターマイツ

ポニーズ

 ポニーズは、新宿のフォーク喫茶「フォーク・ビレッジ」の社長がいくつかのバンドのメンバーを集め’67年10月に結成したグループで、翌年8月に”ブルー・エンジェル”でレコードデビューした。この曲は、ハーブが使われロマンチックな曲になっている。コーラスラインが綺麗で調和が取れており、カウシルズを連想させた。2枚目シングルのA面こそ彼等の真骨頂であろう。雨を題材にした曲は多いが、この曲も名曲だと思う。B面は、シタールを導入したサイケな曲で、海外発売の海賊版に取り上げられるなど、海外での評価が高いという。
 
 彼等は、甘ったるいティーンポップスを基調にして女性や低年齢層に人気が高かった。明治製菓主催の「GS人気ランキング」でも34位と検討している。清潔感溢れるイメージで押し通し、独特の甘い世界を作っていた。まさに良い子を対象としたGSの筆頭である。2枚のシングルというのは惜しまれる。
 解散した後、一部メンバーがミュージック・ボンボンというバンドを結成した。


      ポニーズのシングルディスコグラフィー

1.「ブルー・エンジェル/夕ぐれの渚」’68年8月
2.「雨降る街角/アガナの乙女」’68年12月

      ミュージック・ボンボン唯一のシングル

1.「あなたの涙/瞳の中に」’69年11月


 ターマイツは、元シャープファイヴ前田旭が結成したキャッツが発展したバンドで山本リンダのバックを務めたりしていた。1枚だけシングルリリースしたが、タイトル通りノスタルジックな甘いバラードとなっている。両面とも青春を謳歌する良い子のための曲である。
 レコードでは、未発表だった”白鳥の涙”がCD化されているが、中々のガレージソングである。


      ターマイツ唯一のシングル

1.「お友達でいつまでも/高校生になっても」’68年8月


 両バンドとも青春路線のさわやかさを持っていた。

日本のGSの歴史 34
2009/ 06/ 30 ( Tue ) 22:19:17
フォーク系D級GS対決、スコーピオン対ビップス対P.S.ヴィーナス対マイクス

スコーピオン

 スコーピオンは、ワンアイジャックスを前身とする新宿音楽祭で優勝しデビューした。デビューシングルは、両面共よく似た曲で、どちらもワウワウを使っているぐらいの特徴しかない。
遅れてきたGSで、フォークに多少ニューロック的要素を取り入れている。1枚のシングルで散った。


      スコーピオン唯一のシングル

1.「星の天使/いとしい乙女」’69年5月


 立教大学生が中心で結成したビップスは、学生フォークの延長で’68年12月”初恋の湖”でレコードデビューした。青春歌謡的なさわやかさがあるフォークロック上りで中々爽快な曲であったが、ヒットはしなかった。B面は、オルガンが目立ったアメリカン・ローカル・ガレージ的な曲である。結局彼等もこの1枚のシングルだけだった。


      ビップス唯一のシングル

1.「初恋の湖/バラのエルザ」’68年12月


 東海大学生中心のバンドであったP.S.ヴィーナスは、ハードロックを目指したらしいが、実際シングルリリースされた”青空は泣かない”は、フォーク調ソフトロックであり、B面も同様だった。彼等は、ニューロックグループ、ロック・パイロットの前身である。
GSとしては、1枚のシングルで終わっている。


      P.S.ヴィーナス唯一のシングル

1.「青空は泣かない/雨あがりの散歩道」’69年10月


 フォークソングの代名詞ともなる”バラが咲いた”の大ヒットで知られるマイク真木が、GSブームに乗って結成したバンドがマイクスである。
フラワー・サウンドを標榜した彼等のメンバーは、マイク真木の他、元ブロードサイド・フォーのメンバー二人とプロデューサーとして成功するロビー和田、レコードデビュー寸前には、女性ヴォーカルが高田恭子に代わっている。彼女は、マイクス解散後の’69年には”みんな夢の中”を大ヒットさせている。
 
 ’67年10月のデビューシングル”野ばらの小径”は、フォーク臭さを残しながらも、オーケストレーションを加えた洗練された音作りになっており、和製フラワー・サウンドの面目躍如足るところを見せている。B面の”ランブリン・マン”は、シタールを使ったサイケ調ガレージに仕上がっており、彼等の代表曲になっている。
 2枚目シングルA面は、ビージーズの大ヒット曲”マサチューセッツ”のカヴァーを日本語で歌い、尾崎紀世彦のいたワンダースとの競作になっている。B面は、地味なフォークロックだが、エフェクト導入が効果的な曲となっている。なお、末期のマイクスには、ブリティッシュ・ロックの雄であるフリーに参加したギタリスト、山内テツも在籍していた。

 メンバーから考えると、マイクスをD級扱いすることは、失礼になるであろうが、GSとして彼らを捉えた場合は、やむを得ないと思う。


      マイクスのシングルディスコグラフィー

1.「野ばらの小径/ランブリン・マン」’67年10月
2.「星空のマサチューセッツ/夢の牧場」’67年12月


 4グループ共、GSとしては線が細かった。リアルタイムで知っていたバンドもマイクスのみである。
彼等の曲は、全曲CD化されており、自分もマイクスを除けばCDで知った曲である。

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