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             自分の青春時代に、一度でも触れたポップスやロック、映画音楽を洋楽・邦楽ともに紹介していきます。
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自分の青春時代に、一度でも触れたポップスやロック、映画音楽を洋楽・邦楽とも収集している。 '60年代と'70~'75までの英・米
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日本のGSの歴史 34
2009/ 06/ 30 ( Tue ) 22:19:17
フォーク系D級GS対決、スコーピオン対ビップス対P.S.ヴィーナス対マイクス

スコーピオン

 スコーピオンは、ワンアイジャックスを前身とする新宿音楽祭で優勝しデビューした。デビューシングルは、両面共よく似た曲で、どちらもワウワウを使っているぐらいの特徴しかない。
遅れてきたGSで、フォークに多少ニューロック的要素を取り入れている。1枚のシングルで散った。


      スコーピオン唯一のシングル

1.「星の天使/いとしい乙女」’69年5月


 立教大学生が中心で結成したビップスは、学生フォークの延長で’68年12月”初恋の湖”でレコードデビューした。青春歌謡的なさわやかさがあるフォークロック上りで中々爽快な曲であったが、ヒットはしなかった。B面は、オルガンが目立ったアメリカン・ローカル・ガレージ的な曲である。結局彼等もこの1枚のシングルだけだった。


      ビップス唯一のシングル

1.「初恋の湖/バラのエルザ」’68年12月


 東海大学生中心のバンドであったP.S.ヴィーナスは、ハードロックを目指したらしいが、実際シングルリリースされた”青空は泣かない”は、フォーク調ソフトロックであり、B面も同様だった。彼等は、ニューロックグループ、ロック・パイロットの前身である。
GSとしては、1枚のシングルで終わっている。


      P.S.ヴィーナス唯一のシングル

1.「青空は泣かない/雨あがりの散歩道」’69年10月


 フォークソングの代名詞ともなる”バラが咲いた”の大ヒットで知られるマイク真木が、GSブームに乗って結成したバンドがマイクスである。
フラワー・サウンドを標榜した彼等のメンバーは、マイク真木の他、元ブロードサイド・フォーのメンバー二人とプロデューサーとして成功するロビー和田、レコードデビュー寸前には、女性ヴォーカルが高田恭子に代わっている。彼女は、マイクス解散後の’69年には”みんな夢の中”を大ヒットさせている。
 
 ’67年10月のデビューシングル”野ばらの小径”は、フォーク臭さを残しながらも、オーケストレーションを加えた洗練された音作りになっており、和製フラワー・サウンドの面目躍如足るところを見せている。B面の”ランブリン・マン”は、シタールを使ったサイケ調ガレージに仕上がっており、彼等の代表曲になっている。
 2枚目シングルA面は、ビージーズの大ヒット曲”マサチューセッツ”のカヴァーを日本語で歌い、尾崎紀世彦のいたワンダースとの競作になっている。B面は、地味なフォークロックだが、エフェクト導入が効果的な曲となっている。なお、末期のマイクスには、ブリティッシュ・ロックの雄であるフリーに参加したギタリスト、山内テツも在籍していた。

 メンバーから考えると、マイクスをD級扱いすることは、失礼になるであろうが、GSとして彼らを捉えた場合は、やむを得ないと思う。


      マイクスのシングルディスコグラフィー

1.「野ばらの小径/ランブリン・マン」’67年10月
2.「星空のマサチューセッツ/夢の牧場」’67年12月


 4グループ共、GSとしては線が細かった。リアルタイムで知っていたバンドもマイクスのみである。
彼等の曲は、全曲CD化されており、自分もマイクスを除けばCDで知った曲である。
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日本のGSの歴史 33
2009/ 06/ 29 ( Mon ) 20:41:47
GSらしさの残るGS対決、ジェット・ブラザーズ対サマーズ対デビィーズ対ギャロッパーズ

ジェット・ブラザーズ

 ジェット・ブラザーズは、C級に分類しても良いが、演奏は別途ファイターズというバンドが受け持ち、ヴォーカルのみのデュオグループのため、GSとしては異色である。(初期のシャープ・ホークスもヴォーカルグループで、バッキングはシャープ・ファイヴなどが務めていたが、後には自分たちで演奏するようになった。)
 ブラザーズといっても実の兄弟ではない。バックのファイターズも常に彼等と一緒だったのかも分らない。デビューシングル”愛の祈り/君はどこへ”のレコードを買ったが、両面共良い曲だった。A面は、カップスの”長い髪の少女”そっくりだった。ドラマチックなクラシカル・バラードである。B面は、シャウトするヴォーカルで、R&Bっぽかった。レコードのライナーノーツにも「彼等は、サム&デイヴのようなR&Bをめざしている。」と書かれていた。
 彼等は、この1枚のシングルで解散し、ヴォーカルの片割れである富永ジローは、後期ボルテイジに参加している。


      ジェット・ブラザーズ唯一のシングル

1.「愛の祈り/君はどこへ」’68年5月


 サマーズは、全員北海道出身のバンドで、夏のSUMMERではなく、スペルはSOMERSである。
特徴は、オルガンとエフェクターを使ったファズ・ギターで歪んだ音を出している。
GSらしい音作りで3枚のシングルを出したが、ほとんど無名だった。自分もリアルタイムでは知らず、CDになって”カルトGSコロムビア編 1~3”で知り、”蒼いムードのGSナイト”と併せて全曲揃えた。


      サマーズのシングル・ディスコグラフィー

1.「朝から晩まで/あなたのそばが」’68年5月
2.「たった一言/今も…」’68年10月
3.「悲しみの跡/恋の終りが好きさ」’69年3月


 デビィーズのデビューシングルは、”青いささやき”というパープル・シャドウズ路線のような曲だが、B面の”恋のサイケデリック”はタイトル通り、サイケ調の強い曲に仕上がっている。こちらをA面にした方が良かったと思った。同タイトルで、GS物唯一の小説も出版された。2枚目のシングルは、両面とも歌謡曲である。
彼等の曲はすべてCD化されている。


      デビィーズのシングル・ディスコグラフィー

1.「青いささやき/恋のサイケデリック」 ’68年9月
2.「エレムの恋/ベイビー」’69年5月


 シングルレコードを出したGSの中で、1968年~69年の「GS人気ランキング」で最下位だったのが、ギャロッパーズである。この人気投票は、明治製菓が、チョコレートのキャンペーンとして行ったもので、若い女性ファンの偏りがあったとはいえ、見事なものである。
順位を見るとフォーリーブスやピンキーとキラーズといったGSとは呼べないグループや、果てはフォーク・グループやムードコーラス・グループまで入っている。ギャロッパーズよりも上位にランクされている、レコードを出していないGSもいくつもあるのだ。

 自分はリアルタイムでは、彼等の存在も曲も知らなかったが、CDで聞く限り良い曲である。ここまで順位が低いことが信じられなかった。シングルレコード1枚で散ったが、両面共GSらしい曲である。特にB面はカルトっぽい。自分は、バラード調のA面と共に。好きな曲である。
 なお、ギャロッパーズという意味は、早く駆ける馬のことである。名前もGSらしい。


      ギャロッパーズ唯一のシングル

1.「銀のブレスレット/ドント・ウォリィ・マザー」’68年11月


 ジェット・ブラザーズ以外の3つのバンドは、印象の薄さを免れ得ない。

日本のGSの歴史 32
2009/ 06/ 28 ( Sun ) 22:22:15
ムードコーラス派GS対決、ファンキー・プリンス対キングス対ブルー・シャルム対リンガース対ハイローズ対ベアーズ対ファイブ・キャンドルズ対キッパーズ

ファンキー・プリンス

 グループサウンズの末期は、タイガース、スパイダース、ゴールデンカップスなどの一部を除き、皆歌謡曲、フォーク、アングラの道を進んだ。A級からC級までのGSを紹介してきたが、残るGSはD級のランク付けをせざるを得ないであろう。

 GSの歴史の一番最初に触れたが、GSの起こりは、1965年5月にスパイダースが発表した”フリフリ”であった。
 GSブームは翼’66年から’68年の前半まで続いたが、この年の後半からブームは飽和状態となり、11月にブルーコメッツが”さよならのあとで”で本格的に「ムード歌謡化」すると、これのヒットにあやかるために歌謡化するバンドが続出し、また世相の変化もあってGSブームは一気に衰退していった。
 
 大阪のGSの舞台で、特に大きな存在感があったのが「ナンバ一番」というジャズ喫茶である事は再三述べたが、ここでリンド&リンダーズキングス、タイガース、オックスライオンズらに次いで、トップバンドとなったのが、このファンキープリンスである。

 『泥臭い王子様』という示唆的な名前をもつこのバンドは、演芸出身者を中心に1968年8月に結成され、同年5月には早くも「ナンバ一番」の専属となった。翼年にはナンバ一番のトップにのしあがり、関西ではかなり名の通ったバンドとなった。この頃、「奈良あやめ池」で開かれたショーで5000人の動員を記録したという。
  ’69年5月に”おやすみ大阪”でようやくレコードデビューしたが、この曲は関西ではそこそこヒットしたが、全国的な知名度の低さとGS人気自体の冷え込みに泣かされた。
デビューシングルは、両面共ムード歌謡だった。2枚目のシングルは、両面共マイナー調のバラードで、デビューのイメージを変えたが、ヒットには至らなかった。


      ファンキー・プリンスのシングル・ディスコグラフィー

1.「おやすみ大阪/港で二人は」’69年5月
2.「涙のイアリング/雨と風とリボン」’69年11月


 前述したキングスは関西最古のGSの一つで、キング・オブ・ダイヤモンズに起源を持つバンドである。1964年末頃から本格的に大阪や京都のジャズ喫茶などで活動し始めた。後輩タイガースの成功を見て’67年に上京、タイガースと同じポリドールからその年の9月に”アイ・ラブ・ユー”でデビューした。
 しかし、デビュー前にメンバーの一部が分裂して帰阪してしまった。この帰阪メンバーがのちにオックスを結成するのである。とにかく脱退メンバーを補充してしばらく活動したが成功は得られず、オックスの成功の影で消えていった。
 彼等は、タイガースやオックスのようなアイドル性があるわけではなく、ビーバーズダイナマイツのような実力もなく、とかく地味なバンドであった。デビュ-曲も タイトルとは裏腹な、歌謡曲であった。

 自分は、彼等の曲をCD”カルトGSポリドール編”と”蒼いムードのGSナイト”で知ったが、皆地味な曲であった。なお、デビューシングルのB面のみCD化されていない。


      キングスのシングル・ディスコグラフィー

1.「アイ・ラヴ・ユー/空と海」’67年9月
2.「真昼の星のように/心の底から」’68年3月
3.「ララの秘密/ファニーの恋人」’68年9月


 現在、作曲家として活躍中の馬飼野康二が在籍していたブルー・シャルムは、デビュー曲のタイトルからして、ムード歌謡が漂っている。2枚目と3枚目のシングルA面には、GSらしさが窺えるが、3枚目の”ふたりのシーズン”は、ゾンビーズのカヴァーを日本語で歌っているが、その無理な訳詩で、オリジナルの名曲には遠く及ばない。
 自分は、CD”カルトGSソニー編”になってから、彼等の存在を知ったが、このCDには彼等のB面は1曲も収録されていなかった。中古レコードでも、最も入手困難なグループの一つであろう。


     ブルー・シャルムのシングル・ディスコグラフィー

1.「抱きしめたくて/トウキョウ・アフター・ダーク」’69年1月
2.「ハイウェー・ラブ/ひとりぼっちの並木道」’69年8月
3.「ふたりのシーズン/愛する人へ」’69年8月
4.「風の旅/青いしぶきの弥八島」’70年6月
  

 リンガースも特徴のないグループであった。元々、山岸英樹とサムソナイツというムード歌謡グループであったが、1969年5月、リンガースと変名し、R&BGSとして売り出された。デビューシングル”恋はふりむかない”は、ガレージっぽいGSらしい曲ではあったが、如何せんバンドのイメージが、ムード歌謡ということとGS衰退期に入っていたため、GSとしては成功しなかった。そこで再び、サムソナイツとしてムードコーラスに転じた。いかにレコード会社の意図とはいえ、節操のないバンドであった。


      リンガース唯一のシングル

1.「恋はふりむかない/二人だけの愛の言葉」’69年5月


 リンガースと同じことは、ハイローズにも言える。彼等はバンド名のごとく、アメリカのハイローズを目標に、フォー・フレッシュメン式のボーカルグループを狙っていた。1967年11月、”君をはなさない”でデビューしている。
 この時期は、GS最盛期であるが、逆に地味な彼等は目立たず、ルックス的にも損をしている。コーラスワークは良いが、全体のイメージがやはりムード歌謡から抜け出せなかった。ビートの利いたオルガンは良かった。特に2枚目シングルのB面”恋のアリア”は、”G線上のアリア”を大胆にあしらったバラードで、オルガンの音色が深遠に聞こえる。


      ハイローズのシングル・ディスコグラフィー

1.「君をはなさない/僕の恋人・君・君」’67年11月
2.「東京モナミ恋のアリア」’68年4月


 ベアーズは、熊本出身のバンドであるが、デビュー曲の”港のドロシー”には、『歌謡曲とグループ・サウンドを結びつけた全く新しいニューサウンド』というキャッチ・コピーがつけられた。ズー・ニー・ヴーの”水夫の嘆き”と並ぶマドロス物であるが、多少B面と共にR&Bッぽさもあるが、ズー・ニー・ヴーに比べれば、ずっと歌謡曲である。彼等は、結局このシングル1枚で散った。


      ベアーズ唯一のシングル

1.「港のドロシー/悲しい夜明け」’69年1月


 果たして、GSのジャンルに入るかどうかよく分らないのが、ファイブ・キャンドルズである。彼等は、GSとカレッジフォークとムードコーラスの境界線上に位置したバンドであろう。
’68年10月ノデビューシングル”アイ・ラヴ・ビイ・ビイ”を聞く限り、攻撃的なファズギターと快活なパーカッションに朗々としたバリトンのヴォーカルとファルセットコーラスが絡む音は、完全にGSである。但し、このグループで最も有名な曲であるB面の”大阪の娘”が、マイナー調ムードコーラス曲であるために、GSから外されている(黒沢進のGS名鑑からも外れている)。自分もリアルタイムでは、”大阪の娘”しか知らなかった。
 しかし、その後の彼等の曲を聞く限り、落ち着いたシックな曲調のフォークソングが主流である。


    ファイブ・キャンドルズのシングル・ディスコグラフィー


1.「アイ・ラヴ・ビイ・ビイ/大阪の娘」’68年10月
2.「夕陽にさよならを/愛をあげよう」’69年2月
3.「逢いたくない/気になるあの人」’69年6月
4.「果てなき旅/悲しみの彼方に」’69年9月
5.「風とボクの小さな秘密/恋のゲーム」’70年9月


 これまたGSの範疇に入るかどうか微妙なのが、キッパーズである。彼等の歴史は古く、1963年4月に結成され、やがて北海道放送のレギュラーバンドとして『北海道のブルーコメッツ』の異名を得るほどの人気バンドであったらしい。
 ’69年9月、ようやく”風のふるさと”でレコードデビューしたが、この曲は、北海道放送の番組のテーマとして2年間使われたという曲である。曲調は歌謡曲だが、彼等はステージではロック系統の洋楽曲を演奏しているらしい。彼等は北海道ではいまだにライブを行っているとのこと。

 自分は、CD”蒼いムードのGSナイト”で”風のふるさと”を知っただけで、残りの曲は未聴である。
しかし、発売された年月から言って、既にGSの音ではないと思われる。それにしても曲を出す間隔の長さには、驚かされる。息の長いグループであろう。



      キッパーズのシングル・ディスコグラフィー

1.「風のふるさと/星のロマン」’69年9月
2.「はまなすの恋/夜明けのファンタジー」’73年3月
3.「星のコーラス/小雨の風景画」’74年5月
4.「結婚します/ほほえみながら」’81年4月


 ここに挙げたグループは、正統派GSとは呼び難く、曲もリアルタイムではほとんど知らなかった。GS衰退期におけるGSの成れの果てといっては、語弊があろうか?

日本のGSの歴史 31
2009/ 06/ 27 ( Sat ) 20:00:33
大物GSのC級弟バンド対決、ナポレオン対ブルー・ファイア対クローズ

ナポレオン

 ナポレオンは京都出身のバンドで、カルトGSの雄と言われたリンド&リンダースの弟バンドに当たる。兄貴分に勝るとも劣らぬカルト振りを発揮している。
関西ナンバーワンのエレキバンドという名声を得たリンド&リンダースは、「ナンバ一番」などのジャズ喫茶などではファニーズ(後のタイガース)を弟バンドとして従えていたが、ファニーズ上京後はナポレオンがこの役割を担った。

 ナポレオンは1968年5月、リンド&リンダースの加藤ヒロシ作曲”逢いたい逢いたい”でレコード・デビューした。電話の呼び出し音と電話で話すセリフが入り、GSならではのドラマ性(?)を演出している。B面もまたカルトな曲である。2枚目シングルのA面は、歌謡曲だが、B面はまた凄い。シャックリを歌にするという奇想天外さを見せている。


      ナポレオンのシングル・ディスコグラフィー

1.「逢いたい逢いたい/恋を消すんだ」’68年5月
2.「涙をひとつ/ヒッキー・ヒッキー」’68年10月


 ブルーコメッツの弟バンドが、ブルー・ファイアである。
ブルー・ファイアの前身は、名門ロカビリーバンド・ファイヤボールで、フラワーズへ行く麻生レミが女性リーダーだった。メンバーが再編され、ブルコメのシンガーだったフランツ・フリーデルをフィーチャーしてGS化した。
 1967年9月”夕陽のはてに”でデビューしたが、ブルコメ路線であるこのシングル一枚で終わった。


      ブルー・ファイア唯一のシングル

1.「夕陽のはてに/恋はやさしい」’67年9月  


 フォーク路線でデビューするクローズは、サベージの弟バンドであった。曲調は全く異なるが、どういうわけかムスタングの兄貴分とも呼ばれた。このバンドもシングル1枚で散った。


      クローズ唯一のシングル

1.「愛しているから/恋人マミー」’68年2月


 3グループのうち、リアルタイムで自分が知っていたのは、ナポレオンだけで、ナポレオンは、GSらしかったが、他の2バンドに関しては特徴もなく、印象の薄いバンドである。

日本のGSの歴史 30
2009/ 06/ 25 ( Thu ) 23:49:11
北方志向のGS対決、バロネッツ対ルビーズ

バロネッツ

 北方志向といえば、シベリアサウンドのジェノバが有名であるが、ジェノバに関しては既に記したので、ここではバロネッツルビーズについて述べる。
 バロネッツのデビューシングルは”サロマの秘密”。北国に置いてきた恋人を偲ぶ情景が目に浮かぶ。北国の森をテーマにした曲が多かった。3枚のシングルを出しているが、全体の曲調は、パープルシャドウズ路線であった。


      バロネッツのシングル・ディスコグラフィー

1.「サロマの秘密/愛の女神」’68年9月
2.「恋人たちの森/ある恋のエピソード」’68年12月
3.「笑ってよいしょ/白夜のカリーナ」’69年5月  
                      *A面はTVドラマ主題歌でB面のみ彼等の曲


 ルビーズのデビュー曲も、北国に置いてきた恋人を想う幻想的な哀愁歌謡。この曲の発売に際して、レコードに券をつけて抽選でルビーをプレゼントするというキャンペーンを行った。
彼等も3枚のシングルを発表しており、全体に哀愁感漂うバラードが多いが、3枚目シングルの”恋のピストル”だけガレージっぽいが、作られた歌詞に合わせたわざとらしさを感じる。

 ”カルトGSポリドール編”のCDには、”夜霧のガイコツ今晩は”というコミックソングと田村エミのバッキングを務める”赤い星、青い星”が収録されている。


      ルビーズのシングル・ディスコグラフィー

1.「さよなら、ナタリー/ゆるしておくれ」’67年4月
2.「渚のルビー/青い瞳のエミー」’67年9月
3.「恋のピストル/あなたに抱かれて死にたい」’68年2月

 両バンドとも、雨後の竹の子のごとく出てきたGSの中にあって、何か特徴付けをしなければと言う製作者側の意図が窺える。敢えて北方志向を打ち出したのはそのせいであろう。

日本のGSの歴史 29
2009/ 06/ 25 ( Thu ) 20:34:02
衣装に凝ったGS対決、ピーコックス対クーガーズ

ピーコックス

 『ピーコック革命』と言って、孔雀のオスのように男も美しくなければいけないと、メンバー全員が美しく着飾り、サイケ調の”レッツ・ゴー・ピーコック”で颯爽とデビューしたのが、ピーコックスである。
 デビュー曲のA面は、それなりにカルトっぽいガレージサウンドに仕上がっているが、B面は歌謡曲。2枚目シングルは、”妖精の森の物語”のタイトルからも想像される通り、GS特有のメルヘンの世界で、女性趣味の極致の曲であった。
しかし、GSがこういった曲を歌うと、実に雰囲気が出ており、メルヘンの世界に引きずり込まれるのだ。自分が、始めてこの曲を聞いた時、タイガースかなと思ったほどだ。レコードは買わなかったが、良い曲だと思った。CD時代になって”カルトGSポリドール編”を買ったが、B面の”太陽の恋”は、収録されていなかったのでこの曲だけ未聴である。

 リアルタイムでは、ピーコックスの”妖精の森の物語”だけ知っていたが、彼等の他の曲も”カルトGSポリドール編”に収録されていた他のグループはすべて知らなかった。ポリドールのGSは、タイガースを除いて認知度が低かった。どのグループもアルバムを出していないし、シングルも2~3枚で解散している。


      ピーコックスのシングル・ディスコグラフィー

1.「レッツ・ゴー・ピーコック/恋のピーコック」’68年4月
2.「妖精の森の物語/太陽の恋」’68年9月


 メンバー全員が、スコットランド風のスカートを穿いて登場したのがクーガースである。彼等のデビュー曲は、『歩行者天国』が出来たことに便乗した”テクテク天国”であった。
 彼等は、スカートを穿いて歩行者天国を颯爽と歩き、PRしたが大して売れなかった。しかし、曲は、中々軽快なリズム感のある曲だった。B面の”アフロデティ”や3枚目のシングルは両面ともカルトである。
 彼等の曲はすべてCD化されており、カルトっぽい曲は、海外でも人気があると言う。自分も”カルトGSクラウン編”で知った曲が多い。ラストシングルは、青春歌謡でGS版”青い山脈”といったところだろう。


      クーガーズのシングル・ディスコグラフィー

1.「テクテク天国/アフロデティ 」’67年10月
2.「あこがれ/こころの恋人」’67年10月
3.「好きなんだ/J&A」’68年2月
4.「青い太陽/可愛い悪魔」’68年5月


 両グループとも、それなりの個性派であった。クーガーズは、CD時代になって復刻GSとして人気がある。

日本のGSの歴史 28
2009/ 06/ 24 ( Wed ) 23:25:02
C級ブーガルー対決、ホワイト・キックス対マミーズ

ホワイト・キックス

 ブーガルーは、1965年から1970年にかけて主にニューヨークで流行したラテン音楽の一種。R&B、ソウル、ロックンロールなどの米国のポップミュージックとキューバ~カリブ系のラテン音楽が混合されたサウンドである。
 日本でも最初は、、ハプニングス・フォーが取り上げ、”アリゲーター・ブーガルー/すてきなブーガルー”をヒットさせている。その後バニーズも’8月に”レッツ・ゴー・ブガルー/サマー・ブガルー”をヒットさせている。

 ハプニングス・フォーとバニーズについては、他の貢で以前書いたので、今回はホワイト・キックスとマミーズについて述べたい。

 ホワイト・キックスは、1968年に作曲家・三保敬太郎、元サベージの寺尾聰、女性ヴォーカル・森野多恵子等によって結成されたバンドである。デビュー曲は、ルー・ドナルドソン作曲の”アリゲーター・ブーガルー”で、この曲は、ハプニングス・フォーとの競作であった。
 サイケなこの曲は、折からのブーガルーブームもあって、そこそこヒットしたが、彼等は1枚のシングルのみで解散している。
しかし解散後、メンバーだった三保は、作曲家のみならず、ジャズピアニスト、レーシングドライバー、俳優、映画監督としてもその後活躍しており、寺尾もソロ活動及び現在も俳優として活躍している。


      ホワイト・キックス唯一のシングル

1.「アリゲーター・ブーガルー/愛の言葉」’68年5月


 マミーズは、田端義夫の息子である義継を中心に結成されたGSである。ブーガルーブームに乗って”二人のブーガルー/ブーガルーNo.1”という両面共ブーガルーのシングルをリリースしたが、地味なバンドでこの1枚のシングで解散した。なお、A面のNGテイク盤を”レモン色の太陽”としてCD化している。


      マミーズ唯一のシングル

1.「二人のブーガルー/ブーガルーNo.1」’68年8月


 ホワイト・キックスのヴォーカルは良かったし、ジャズに傾いたバンドで、フルートやファズ、ホーンなどが織り成す独特の音があった。しかし、両グループともブーガルーブームに便乗してレコードデビューしたが、後が続かず、1枚のシングルのみで解散している。
悲しく散った、「時代の徒花」だったかもしれない。

日本のGSの歴史 27
2009/ 06/ 23 ( Tue ) 23:50:37
アップル・エイジのGS対決、ブルーインパルス対ヤンガース対リリーズ対ブレイズ対アップル対オリーブ対ピーターズ

ブルーインパルス

 GSの歴史の第一世代をスパイダースブルーコメッツ、第二世代をタイガーステンプターズとするなら、ブルーインパルスヤンガースは、第三世代を代表するGSである。
 第三世代は、別名『アップル・エイジ』とも言われ、ティーンエイジャーを対象としたアイドル路線のGSであった。

 さて彼等を代表する曲が、ブルーインパルスの”太陽の剣”とヤンガースの”マイラブ・マイ・ラヴ”であった。どちらも熱烈なラヴソングで、その想いが強烈に伝わってくる。GSらしい雰囲気を持っている曲であり両バンドであった。

 GSが所属したレーベルであるが、所謂十大GSのうち、当時のフィリップスより、スパイダース、テンプターズ、カーナビーツ、ジャガーズといった4GSが排出されている(他の6GSは、タイガース=ポリドール、オックス=ビクター、ワイルド・ワンズとゴールデン・カップス=東芝、ブルーコメッツとヴィレッジ・シンガース=CBSコロムビア)ことから、GSの売り出しに一番力を入れていたのが、フィリップス(後にテイチクに買収される)だったといえる。
 従って、『アップル・エイジ』のグループは、ブルーインパルス(RCA)とピーターズ(ポリドール)を除き、フィリップスよりレコードデビューしている。

 GS人気は’69年より、下降線をたどっていくが、一つにはこうしたGSも粗製濫造が挙げられている。オックス以降のGSを差して、泡沫GSと言われるのもこれ故である。
 中には、より音楽性を高めたニューロックに走ったGSもあったが、多くはフォーク、歌謡、果てはコミックバンドかアングラ路線に走っていった。、『アップル・エイジ』のGSをC級とするなら、これ以降のGSは、D級というランク付けをせざるを得ない。

 とにかく、第三世代のGSのデビュー当時は、アイドル路線を狙ったそれなりにGSらしさを出した楽しいバンドではあった。しかし、何度も繰り返しになるが、彼等も最後の方は歌謡曲になってしまった。
 ヤンガースとオリーブだけは、後に海外でカルトGS、ガレージと呼ばれることになるが、彼等も含めた『アップル・エイジ』のグループは、皆アルバムを出せなかった。


      ブルーインパルスのシングル・ディスコグラフィー

1.「太陽の剣/夜明けに消えた恋」’68年10月
2.「メランコリー東京/小さな恋人 」’69年3月
3.「苦しみのロック/別れの朝」’70年4月

 颯爽とGSらしくデビューした彼等だったが、2枚目は歌謡曲(但し、”メランコリー東京”は、アウト・キャストの”愛なき夜明け”、シャープ・ファイヴの”哀愁の六本木”、レオ・ビーツの”別れの歌”、ジャガーズの”恋人たちにブルースを”そして、ブルコメの”さよならのあとで”と”雨の赤坂”などに並ぶGS歌謡の名曲である)。3枚目のシングルに至っては、タイトル通り苦し紛れとしか言いようがない。


      ヤンガースのシングル・ディスコグラフィー

1.「マイ・ラブ・マイ・ラブ/離したくない」 ’68年9月
2.「恋をおしえて/野菊のようなあの娘」’69年2月
3.「ジン・ジン・ジン/ドゥー・ザ・ウィップ」’69年7月
4.「告白/愛の鎮魂歌」’69年10月

 デビューシングルの両面と3枚目のシングル両面は、カルトGSらしさが出ている。ラストシングルの”告白”も歌謡曲だが良い曲だと思う。
 ヤンガースは、若い女の子に異常な人気があり、『明治製菓のGS人気ランキング 』(’68年~’69年)でも堂々第八位であった。


      リリーズのシングル・ディスコグラフィー

1.「ドアをあけて/イマジネイション」’69年1月
2.「黒い瞳のアデリーナ/夜行列車」’69年7月
3.「雨のささやき/頬つたう涙」’70年2月

 ヤンガースの後、同じフィリップスよりデビューしたが、デビュー曲は恥ずかしくなるおとぎ話の世界。ラストシングルのA面は、ホセ・フェリシアーノの日本語カヴァー。無理な訳詩がたたり、名曲が泣く。個人的には2枚目シングルのA面が好きである。


      ブレイズのシングル・ディスコグラフィー

1.「美しい愛の悲しみ/はじめての涙」’68年10月
2.「卒業の季節/白い花」’69年3月

 同じくフィリップスよりデビューしたブレイズだが、デビュー曲も2枚目も似たような失恋の歌。泣きながら歌う江田聖明のヴォーカルは、若い女の子の人気を呼んだ。2枚目の”卒業の季節”は、彼のセリフ入りだが、「3月10日卒業の日ーーー」とシングル発売日と日にちが合致しており、憎い演出をしている。彼等の曲は、全体的に青春歌謡で際立った特徴はないが、曲自体は悪くない。


      アップルのシングル・ディスコグラフィー

1.「王女の真珠/ふりむかないで」’68年9月
2.「夕日のふるさと/ごめんねでもありがとう」’69年5月

 バンド名を 『アップル・エイジ』からそのまま取ったアップルも、ヤンガースやブレイズと同じ時期にフィリップスよりデビューした。デビュー曲”王女の真珠”には、曲も歌詞もGSらしさが窺えたが、この曲のB面は完全な歌謡曲であり、2枚目のシングルはフォークらしい。彼等の曲は、”王女の真珠”以外はCD化されていないので未聴である。


      オリーブのシングル・ディスコグラフィー

1.「君は白い花のように/愛のめぐり逢い」’69年10月
2.「ハートブレイク・トレイン/小さな初恋」’70年9月
3.「カム・オン!/ 愛ある国へ」’70年11月
4.「マミー・ブルー/君と別れて」 ’71年12月

 オリーブは、最も遅いデビューのGSで、’69年後半からは、GSの衰退期に入っていた。つぃんドラムが彼等の売りであったが、曲は良かった。
デビュー曲の”君は白い花のように”は、哀愁感が漂っているし、2枚目の”ハートブレイク・トレイン”は、「シュシュシュシュ シュシュシュシュ~」というサビのコーラスがイヤに耳に残る。自分はこのレコードだけ買ったが、GS末期の曲としては良い曲だと思う。
 
 3枚目のシングル両面はCDで聴いた。”カム・オン!”は、最近になって見直され、海外でも以上人気となり、B面共にCD化の運びとなったと聞く。2005年に発売された”昭和元禄トーキョーガレージ JAPANESE ROCKIN’ PSYCHE&PUNK '65~'71 ビクター編”というオムニバスCDに収録されている。リアルタイムでは全く知らなかったが、こういったカルト系GSは、最近見直されていると言う。GSフリークの自分としては、実に喜ばしい限りである。

 ラストシングル”マミー・ブルー”は、ポップ・トップスのカヴァーで、ヴィッキー始め、多くのシンガーにーカヴァーされている名曲である。
彼等の曲は、デビューシングルのA面と3枚目の両面しかCD化されていない。是非、全曲出して欲しいグループである。


      ピーターズのシングル・ディスコグラフィー

1.「愛のセレナーデ/キャンディ・ガール」’69年8月
2.「虹のキャンドル/白い荒野」’69年11月

 ピーターズは、ポリドールよりデビューした。このグループモ遅いデビューである。ポリドールの大物GSは、タイガースだけで、他のバンドはほとんど知られていない。
 自分もリアルタイムで知っていたポリドールのGSは、タイガースを除くとピーコックスだけであった。
ピーターズもCD”カルトGSポリドール編”で知ったが、収録されていた彼等の2曲は共にB面であった。自分は、GSのCDをすべて収集しているが、CD化されていない曲は、古レコード屋で買うしかない。ピーターズは、大したグループではなかったが、GSフリークの自分は、GSの曲はすべて入手したいので、見つけたGSのEP盤(CD化されていない曲のみ)は、買うようにしている。

 しかし、無名に近いGS程プレスされた枚数が少なく入手困難なため、やたら高いのだ。万を越えているEP盤が結構ある。ピーターズは、2枚のシングルしか出さず、しかもA面が2曲ともCD化されていないので、EP盤を入手した。ご多分に漏れず、結構高かった。
 曲の方はと言うと、想像はしていたがヒドイものであった。


 第三世代(『アップル・エイジ』)のGSは、遅れてきたGSであるが、皆デビュー時は、それなりにGSらしかった。ヤンガースとブルーインパルスの人気が目立った。最近になってオリーブは見直されている。

日本のGSの歴史 26
2009/ 06/ 22 ( Mon ) 23:10:09
これぞGS・C級対決、ライオンズ対エドワーズ対スケルトンズ対ブラック・ストーンズ

ライオンズ

 ライオンズは元々大阪のグループで、前身をライダースと名乗っていた。ファニーズ(後のタイガース)が上京した後、大阪でトップのジャズ喫茶『ナンバ一番』で看板を張って活躍していたバンドである。
1967年10月、東京のプロダクションにスカウトされて、タイガースの成功に続くべく上京した。

 GSのバンド名は、動物の名からつけたグループが多いが、彼等も、A級バンドとして活躍していたジャガーやタイガーより強い百獣の王にちなんで、ライオンズと命名された。
そして、’68年3月「野生のエルザ」ならぬ、”すてきなエルザ”で東芝よりデビューした。東芝では、相当彼等に期待し、大々的なキャンペーンも張ってアイドル路線を狙ったが、ルックスが良いとは言えず、曲もあまり売れなかった。
 
 自分は、激しいビートとファズギターに絡みつくオルガン、「エルザ~」と絶叫するヴォーカルの、この曲が好きだった。しかし、演奏もヴォーカルも上手いとは思えなかった。B面も良い曲だと思ったが、バンドの特徴がなく、強いて挙げればコーラスが良かった。

 2枚目のシングルは両面共、「子供交通安全協会の企画盤」として発売されたが、何故彼等が?という気がして、狙っている路線が全く分らなかった。恥ずかしくなる曲だ。3枚目の”絵の中の恋人”は、そこそこ良い曲だったが、全くヒットせずに解散した。

 ライオンズは、GSらしいかっこ良さはあったが、ルックスが伴わなかったのと、ヴォーカルが拙過ぎた。良い曲に恵まれながら、グループとして狙った路線が、ハッキリ掴めなかった。


      ライオンズのシングル・ディスコグラフィー

1.「すてきなエルザ/信じておくれ」’68年3月
2.「 ハイウエイ小唄/よい子のゴー・ゴー」’68年7月
3.「 絵の中の恋人/恋の十字路」’69年1月


 ライオンズと共に東芝が期待して送り出したGSが、エドワーズであった。
エドワーズは、バニーズのセカンドギタリストであった輿石秀之大石吾郎)が結成したバンドで、英国調のビートグループであった。
 
 彼等は2枚のシングルしか出していないが、2枚共A面はGSらしい良い曲だった。デビューシングルの”クライ・クライ・クライ”は、叫ぶヴォーカルが印象的だし、2枚目の”虹の砂浜”には、GSがよく使う波の音を入れてあり、砂浜の情景が浮かんでくる。B面はどちらもどうしようもない暗い歌謡曲だ。良い曲を持ちながらやはり、ライオンズ以上に売れなかった。


      エドワーズのシングル・ディスコグラフィー

1.「クライ・クライ・クライ/恋の日記」’68年2月
2.「虹の砂浜/恋の終り」’68年6月


 スケルトンズは、C級GSの真骨頂を発揮している。和製ヤング・ラスカルズと呼ばれた彼等は、地元京都で異常な人気があった。
上京して、たった一枚のシングルをリリースするが、この曲が伝説の”星の王子さま”である。自分と同年代なら知っていると思うが、メルヘンの極致のような曲だ。今、歌詞を思い出すとコスバユイが、当時中学生だった年代には、忘れられない名曲だと思う。

 1968年から明治製菓が始めた「チョコで選ぼうGS人気ランキング」において、スケルトンズは一枚のシングルにも拘らず、12位という人気振りであった。


      スケルトンズ唯一のシングル

1.「星の王子さま/悲しみのかげに」’68年8月


 GS解散第一号が、ブラック・ストーンズである。彼等は、キャリアのあるロカビリー歌手藤枝省二を中心に結成されたフォークロックバンドである。黛ジュンの”恋のハレルヤ”のバックバンドも務めていた。

 ’67年4月”ヘイ・ミスター・ブルーバード”でレコードデビューしているが、この年の夏にはメンバーの仲違いで解散している。これからGSの最盛期を迎えると言う時に、早すぎた解散であった。
1枚のシングルしか残していないが、A面は軽快なビートフォークロックで、B面は正統的なフォークロック。GSの雰囲気を併せ持った味わい深いバンドであった。


      ブラック・ストーンズ唯一のシングル

1.「ヘイ・ミスター・ブルーバード/誰よりも君が好き」 ’67年4月


 4グループとも、最もGSらしいGSのC級バンドであった。彼等は、今でもGSを語る際、忘れられない日本独自の音楽文化の担い手たちであったと思う。

日本のGSの歴史 25
2009/ 06/ 22 ( Mon ) 20:28:50
ケメ子対決、ダーツ対ジャイアンツ

ダーツ

 1967年12月に発売された、フォーク・クルセダーズの”帰って来たヨッパライ”は、一世を風靡し、GS一辺倒だった音楽界に、新たなアングラブームを生み出した。これに便乗しようと二匹目のドジョウを狙ったのが、”ケメ子”である。
 この曲は、先にジャイアンツが、’68年1月25日、”ケメ子の唄”として、ヨッパライと同じテープの早回しのアングラ曲で発売した。
しかし、ダーツが翼2月1日、”ケメ子の歌”として、やや歌詞を変え、ラブソングとして続いたのである。競作となったこの曲の勝者は、ダーツであった。ダーツ盤がオリコンチャート2位、ジャイアンツ盤は同6位であった。いずれにしろ大ヒットとなり、小山ルミ主演の映画にもなったが、タイトルは「ケメ子の唄」、即ちジャイアンツ盤が採用され、彼等もこの映画に出演もしている。

 ケメ子ブームは、 アンサーソング も生み、松平ケメ子の”私がケメ子よ”と、滝しんじの”ケメ子がなんだい” がこれに当たる。

 ダーツは、元はウエスタンバンドであったが、デビュー曲で見るようにフォーク系が得意なGSであり、センスの良いフォーク・ロックバンドであった。シングルB面やセカンドシングルでは正統派のフォークロックを披露した。しかし、セカンドシングルは全く売れず、一年を置いてメンバーチェンジし、ムードコーラスのサード・シングルを出したものの、これも売れず、3枚のシングルで解散した。
 結局、”ケメ子の歌”の一発屋で終わってしまったが、この曲のイントロもニール・セダカの”かわいいあの娘”によく似ている。
2枚目シングルの両面も3枚目のB面もCD化されていない。アルバムも出していない。


      ダーツのシングル・ディスコグラフィー

1.「ケメ子の歌/ブーケをそえて」’68年2月
2.「いつまでもスージー/君は恋の花」’68年6月
3.「黄色いあめ玉/遠い人」’69年4月


 ダーツに対抗するジャイアンツは、B級の実力派である。デビュー曲のB面も2枚目シングルのA面もコミックやアングラ路線だが、他の曲は青春歌謡である。インストのアルバムと何故か軍歌のアルバムを出しているが、ギターサウンドのテクは凄い。曲に恵まれなかったことが惜しいバンドである。


      ジャイアンツのシングル・ディスコグラフィー

1.「ケメ子の唄/豚のシッポ」’68年1月
2.「どうしても女に勝てなかった悲しい男の唄/涙のエンゼル」’68年4月
3.「遠い夏/素足の乙女」’68年9月
4.「ヤッホースケーター/スケート野郎」’68年11月  *A面は、永井秀和

      ジャイアンツのアルバム・ディスコグラフィー

1.「グループサウンドと歌おう」’68年月  *他のGSのインストナンバー
2.「可愛いスーちゃん」’69年3月      *歌入り軍歌集


 ダーツもジャイアンツも「ケメ子」の束縛から抜け出せなかったといえる。その後の曲に恵まれず、自分たちの実力を発揮出来なかったバンドであると思う。

日本のGSの歴史 24
2009/ 06/ 21 ( Sun ) 22:16:44
外人GS対決、リード対スーナーズ対ハーフ・ブリード対クラックナッツ

リード

 メンバー全員が外人で、来日して日本でレコードをリリースしたバンドが4つだけある。筆頭は、ジャズシンガーのヘレン・メリルを母に持つ、アラン・メリルの在籍したバンド、リードである。
 
 元々、エレキギター、ベース、ドラムス(時にはキーボードも加わる)で構成されるヴォーカル・グループの原点は、英・米で生まれたものであるが、何故かグループ・サウンズ(略してGS)は、日本の音楽ジャンルの代名詞になっている。
 
 リードは、メンバー全員がアメリカ国籍(一人だけ日系)で、日本のGS界に旋風を起こすべく、1968年10月、日本語で歌う”悪魔がくれた青いバラ”でレコードデビューした。
 自分は、この曲を1度聞いただけで、彼等のテクニックに驚いたが、何と言っても神秘的なこの曲が気に入った。日本のGS界に残る屈指の名曲だと思う。自分の好きなGSの曲の中でも最も好きな曲の一つである。シュールな詩と不思議な印象が残る名曲である。B面の”沈黙の海”も海が見えてくるような情景を醸し出す実に良い曲だ。
 2枚のシングルしか出していないが、彼等の実力はカヴァーで占めた2枚のアルバムで堪能できる。


      リードのシングル・ディスコグラフィー

1.「悪魔がくれた青いバラ/沈黙の海」’68年10月
2.「マンハッタン無宿/ジャスト・ア・リトル」’69年2月

      リードのアルバム・ディスコグラフィー

1.「ザ・リード・ゴーズR&B」’68年12月   *オールディーズをR&B調にアレンジ
2.「サウンド・オブ・サイレンス/リード・ゴーズ・トップ・ヒット」’69年4月


 アメリカ系二世を中心に結成されたバンドが、ハーフ・ブリードである。
クラシックス・フォーを思わせる洗練されたハーモニーの美しいグループであった。’69年1月のデビューシングル”不思議な夢”は、美しいストリングスをバックに、最初英語で途中から日本語で歌っている。B面は、英語詩であった。

 彼等も実力派であったが、日本でデビューした頃は、GSの衰退期に入っていた。2枚目のシングルは、クラシックス・フォーのカヴァーを日本語で取り上げている。アルバムは出していない。


      ハーフ・ブリードのシングル・ディスコグラフィー

1.「不思議な夢/ムーン・アンド・スターズ」’69年1月
2.「恋の足あと/白い風を見る日」’70年2月


 フィリピンバンドの代表格が、スーナーズである。加山雄三の妹夫妻が、香港のナイトクラブに出演していた彼等の演奏に惚れ込み、日本に誘った。彼等は、’67年末に来日したが、全員がマニラ市民であった。本格的なR&Bバンドであった。
 
 ’68年7月、ミラクルズのナンバーをカヴァーし、日本語で歌った”ミッキーズ・モンキー”でレコードデビューした。日本人にないフィーリングを感じさせ、迫力のあるドラムスとジミ・ヘンを思わせるヴォーカルが売りであった。B面は英語詩で、香港で出した曲で、ミリオンセラーになったという。2枚目のシングル”素晴らしい愛の世界”は、実にタイトル通り、スバラシかった。オーケストラをバックにしたソフトロックで崇高に歌い上げている。ワウワウの使い方が実に効果的な曲である。

 2枚のアルバムを出したが、彼等のオリジナル3曲を除き、R&Bのカヴァーで占められている。      

      スーナーズのシングル・ディスコグラフィー

1.「ミッキーズ・モンキー/愛のソナタ」’68年7月
2.「素晴らしい愛の世界/プリーズ・プリーズ・トリーナ」’68年10月

      スーナーズのアルバム・ディスコグラフィー

1.「リズム・アンド・ブルース天国」’68年8月
2.「ポートレイト・オブ・デ・スーナーズ」’68年10月


 クラックナッツも、寺内企画所属のフィリピンバンドであった。熱情的な演奏が身上だったが、デビューが遅すぎた。デビュー曲は、師匠に当たるバニーズの”悪魔のベイビー”をカヴァーした。B面のオリジナル”イエス・ノー・イエス”は魂の叫びを込めた熱情的ガレージ曲であった。結局このシングル1枚で解散している。


      クラックナッツ唯一のシングル

1.「悪魔のベイビー/イエス・ノー・イエス」’69年8月


 4つの外人バンドは、皆実力派であったが、いかんせんデビューが遅すぎた感があり、彼等独自のスタイルを日本で根付かせる間もなく、GSブームの終焉に向かっていた。アルバムを出したリードとスーナーズは、非常に魅力的だった。

日本のGSの歴史 23
2009/ 06/ 20 ( Sat ) 09:18:52
個性派実力GS対決、アダムス対モージョ対シルク・ロード対レオ・ビーツ

アダムス


 アダムスは、元アウト・キャスト水谷淳轟健二によって、1968年に結成された。
 アウト・キャストについては、以前書いたが、実力がありながら人気のなかった筆頭GSと言える。
しかし、先の水谷はアダムスの後、スタジオミュージシャンを経て、名前を公生に変えて、作曲家として成功。轟は、後の音楽プロデューサー・松崎澄夫。その他のメンバーも、大野良二が、後にレコーディング・ディレクター、藤田浩一は、後に作曲家・音楽プロデューサー・音楽事務所社長、穂口雄右も、後に作曲家・音楽事務所社長として、皆成功している。

 アダムスは、そのタイトルからして壮大な”旧約聖書”でデビューを飾り、この曲は、大人数のオ-ケストラをバックに制作された。GS一大叙事詩といえる。4枚のシングルを発表しているが、残念ながらアルバムは出していない。


      アダムスのシングル・ディスコグラフィー

1.「旧約聖書/ギリシャの丘」’68年9月
2.「眠れる乙女/砂のお城」’68年12月
3.「地球はせますぎる/にくい時計」’69年5月
4.「明日なき世界/影」’69年9月


 モージョは、1966年に結成され、弘田三枝子のバックバンドを務めていた。’69年2月に唯一のシングルとなってしまった”欲張りな恋”をリリースしている。
 シングルデビュー前には、2006年に他界したジャズ・ピアニストの本田竹広が、在籍しており、ジャズ畑出身の実力派バンドであった。アイドル的なものは全くなく、上質な音楽をやっていた。まさにアーティスト感覚のバンドだった。
デビュー曲のB面でもジャズの臭いを彷彿させている。


      モージョ唯一のシングル

1.「欲ばりな恋/クレージー・ミッドナイト」’69年2月


 GS唯一のブラス・ロック・バンドと言って良いのが、シルク・ロードである。
『スウィンギン・ブラスの騎士』のキャッチフレーズで’69年8月”蒼い砂漠”でデビューした。
 ’69年に入ると、ほとんどのGSが歌謡曲路線に鞍替えしていく中、哀愁GSビートで奮闘した、遅れてきたGSである。哀愁GSの名が最も相応しいバンドのひとつである。
 自分は、デビューシングルを買ったが、B面の”丘の家”は、唸るベースがグルーヴ感を出しており、A面よりも好きだった。A面もビート感は充分でヒットした。
2枚目のシングルも同じ路線をさらに追求したが、ヒットはしなかった。ピアノが脇を固めるビート・バラードの傑作ではあった。B面は、残念ながらCD化されていない。


      シルク・ロードのシングル・ディスコグラフィー

1.「蒼い砂漠/丘の家」’69年8月
2.「はるかな旅路/地平線に紅いバラ」’70年3月


 ラテン・ロックの雄が、レオ・ビーツである。彼等は、奥村チヨ木の実ナナのバッキングを長く務め、「奥村チヨとレオ・ビーツ」、「木の実ナナとレオ・ビーツ」など、CDにも彼等の名前が表記されている。あらゆるジャンルの曲を苦もなくこなした実力派である。
 1967年11月、GSとして”霧の中のマリアンヌ”でデビューするが、この曲も2枚目のシングルもパーカッションを使ったラテン色の濃い曲であった。3枚目の”別れの歌”以降、歌謡曲化するが、この曲は、GS屈指のムード歌謡だと思う。4枚目シングルのA・B面ともCD化されていない。GSとしてのアルバムも出していない。


      レオ・ビーツのシングル・ディスコグラフィー

1.「霧の中のマリアンヌ/恋に生きる」’67年11月
2.「貴族の恋/あなたの影」’68年3月
3.「別れの歌/哀愁のシルバーレイン」’68年8月
4.「君に幸せを/許しておくれ」’69年2月


 4グループとも個性的な実力派GSであった。自分は、アダムスとモージョが好きであるが、4グループの中でモージョのみ、リアルタイムでは知らなかった。

日本のGSの歴史 22
2009/ 06/ 19 ( Fri ) 19:58:11
歌手とのつながりが強いGS対決、リバティーズ対フレッシュメン対ラブ

リバティーズ

 リバティーズは、吉永小百合の”勇気あるもの”のバックを務め、自らもヒットを放つなどそれなりに活躍をしていたトニーズの後身である。
 1969年8月、”渚に消えた恋”でGSとして再デビューするが、時既に遅くGS衰退期に入っていたので、この1枚のシングルで解散した。B面は、トニーズ時代の”愛のペンダント”であった。フォーク調の印象にあまり残らない曲である。


      リバティーズ唯一のシングル

1.「渚に消えた恋/愛のペンダント」’69年8月


 フレッシュメンは、橋幸夫の”名なし草”のバックをつけたりしており、バンド名も橋によって命名された。1967年10月に”バラは帰らない”をレコードリリースしたが、この曲は歌謡GSらしい名曲だと思う。しかし、ヒットはしなかった。B面の”お花おばさん”は、タイトルだけで分るように恥ずかしい曲であった。
 結局、彼等もこの1枚のシングルだけで解散している。事実上、このバンドが後期のチコとビーグルスの前身になった。


      フレッシュメン唯一のシングル

1.「バラは帰らない/お花おばさん」’67年10月


 ラブも1枚のシングルだけで解散してしまったバンドだが、そのシングルのA面が、越路吹雪との競作となった名曲”イカルスの星”である。
B面もサイケなフォークロックで、特にエンディングが素晴らしい。


      ラブ唯一のシングル

1.「イカルスの星/ワンス・アゲイン」’69年3月


 3グループとも大物歌手との関わりが深かったが、GSとしては成功しなかった。曲としてヒットしたのもラブの”イカルスの星”だけである。

日本のGSの歴史 21
2009/ 06/ 18 ( Thu ) 19:57:58
シングル1枚の解散が惜しまれるB級GS対決、ガリバーズ対シェリーズ対ムスタング対スピリッツ

ガリバーズ


 ガリバーズの曲は、たった1枚のシングル盤しかリリースされなかったが、『幻のカルトGS』と言われ、一部マニアに根強い人気があった。2曲とも筒美京平の作曲だが、A面の”赤毛のメリー”は、エンディングの波止場の汽笛の音が、異国情緒を掻きたてる名曲である。イントロからワウワウを使ったギターテクと言い、良く通る野太いヴォーカル、息の合ったコーラス等素晴らしい名曲だ。彼等のフィーリングも日本人離れしていた。一度聞いたら忘れられないリズム感だ。自分は、この曲が大好きだが、B面の”ダークな瞳”も良い。両曲ともカルトっぽいガレージサウンドで、B面の方が良いという人も多い。
 2枚目のシングルとして予定されていた”砂山”は、お蔵入りになった。1枚のシングルのみで、最も惜しまれたグループである。宇崎竜堂は、このバンドのマネージャーをしていた。


      ガリバーズ唯一のシングル

1.「赤毛のメリー/ダークな瞳」’68年7月


 シェリーズは、デビューにあたって長時間連続演奏に挑戦し、32時間にわたってデビュー盤の二曲だけを交互に繰り返すというステージを繰り広げた。A面の”想い出のシェリー”は、男臭さが匂うヴォーカルとコーラス、オルガンがかなりガレージであった。叫び声が入る感動的な曲だ。B面は、完全な歌謡曲だが、両曲とも自分は好きだった。レコードも買ったが、早い解散が惜しまれる実力派だと思う。


      シェリーズ唯一のシングル

1.「想い出のシェリー/あの空は遠い」’67年11月


 ムスタングも1枚のシングルで解散したが、A・B面共サイケなガレージサウンドだ。歌詞の内容も凄い。B面は英語で歌っており、海外でも通用するカルトGSだと思う。リアルタイムでは知らなかった。


      ムスタング唯一のシングル

1.「ゲルピン・ロック/ムスタング・ベイビー」’68年4月


 スピリッツも、1966年2月の『勝ち抜きエレキ合戦』札幌大会で優勝した実力派であり、’68年5月”人魚の涙”でレコードデビューしたが、この1枚のシングルだけで解散した。
 イントロに波の音を入れており、神秘的な曲だった。(波の音はGSの曲に多い)自分は、このレコードを買ったが、当時でもほとんど知られていなかった。


      スピリッツ唯一のシングル

1.「人魚の涙/ワン・モア・キッス」’68年5月


 4グループとも実力があり、個性的なバンドであったが、曲はほとんど売れていない。バンドとしても一部に知られていたのは、ガリバーズぐらいであろう。シェリーズは小ヒットしたが、自分はガリバーズと共に好きなバンドであった。

日本のGSの歴史 20
2009/ 06/ 17 ( Wed ) 19:46:42
寺内タケシの弟バンド対決、テリーズ対フェニックス対ブルージーンズ

テリーズ

 寺内タケシのニックネームをバンド名としたテリーズは、1967年9月”想い出の星空”でレコードデビューしたが、ビートバンドスタイルにこだわり続けた。実際は、アイドル路線の曲が多いが、曲そのものは良かった。デビュー曲のB面”ストップ・ダンス”は、師匠であるバニーズのカヴァーで爽快な曲である。
 ラストシングルのB面である”サンセットリバーサイド”は、極めつけのガレージ・サウンドである。アルバムは出していない。


      テリーズのシングル・ディスコグラフィー

1.「想い出の星空/ストップ・ダンス」’67年9月
2.「二人だけの恋/恋する星空」’68年2月
3.「バラの想い出/ヨコハマ野郎」’68年4月
4.「森かげの小道/サンセットリバーサイド」’68年11月


 テリ-ズに次ぐ、寺内タケシの弟バンドがフェニックスである。ギターの栗山正は後に、寺内から離れたバニーズに加入している。
 彼等は、日本ではじめてワウワウを導入したことで有名な、サウンドエフェクトにかけるガレージバンドであった。特に、’68年1月のデビューシングル”恋するラララ”のサイケなガレージぶりは、聞き応えがある。歌詞は、幼稚で聞いているほうが恥ずかしくなる。2枚目の”グッバイ・ベイビー”は、R&B志向の曲である。アルバムは出していない。


      フェニックスのシングル・ディスコグラフィー

1.「恋するラ・ラ・ラ/涙のシルビア」’68年1月
2.「グッドバイ・ベイビー/悲しい片想い」’68年5月


 ブルージーンズは、エレキバンドだった第一期寺内タケシとブルー・ジーンズから、寺内がバニーズを結成、加瀬邦彦ワイルド・ワンズを結成し、その他、石橋志郎鈴木文夫といったスタープレーヤーが次々脱退していったため、ただひとりエレキ時代から生き残った岡本和雄を中心に元フォー・ナイン・エース田川譲二をヴォーカル・リーダーにすえてGSとして結成された。
 彼等は、2枚のシングルの他、キューピッツの”夜霧の別れ道”のバッキングを残している。自分は、リアルタイムにはエレキバンドのブルー・ジーンズしか知らなかった。彼等も、アルバムは出していない。


      ブルージーンズのシングル・ディスコグラフィー

1.「マミー/愛して」’67年11月
2.「星のデイト/ワン・モァ・プリーズ」’68年5月


 3グループとも寺内タケシの弟子として、寺内の影響を受けたバンドであった。

日本のGSの歴史 19
2009/ 06/ 15 ( Mon ) 19:45:50
B級R&B、ロカビリービート、ニューロック対決、ボルテイジ対ヴァン・ドッグス対フローラル

ボルテイジ

 ボルテイジも、自分が生のライヴを見たかったバンドの一つである。迫力あるR&B一辺倒のバンドだった。1968年8月に”R&Bビッグヒット”という唯一のアルバムを発表しているが、ダイナマイツとは違い、完全にR&Bナンバーのカヴァーだけを英語で歌っている。すべてフォーンやストリングスを使わないバンドだけのサウンドで構成されている。R&Bに真摯に取り組む姿勢と、民謡を思わせる橘洋介のヴォーカルとのバランスが、スリリングで、GSにおけるR&Bの魅力を思う存分発揮している。ファズで聞くサウンドには、独特の味わいがある。

 デビュー・シングルの”エミー・マイ・エミー”も橘の演歌魂溢れろヴォーカルが聞きもので、自分は好きだった。B面の”シェイキン・マイ・ソウル”は、完全なR&Bであった。
3枚目のシングル”汐鳴りの幻想”は、大きくメンバーチェンジし、ジェット・ブラザーズから富永ジローが参加したが、これが最後のシングルとなった。『えんやとっと』のリズムを使った民謡との結合であった。

      
      ボルテイジのシングル・ディスコグラフィー

1.「エミー・マイ・エミー/シェイキン・マイ・ソウル」’68年6月
2.「トゥデイ/ナンシー・アイ・ラヴ」’68年11月
3.「汐鳴りの幻想/君を見つめて」’69年4月

       ボルテイジのアルバム・ディスコグラフィー

1.「R&Bビッグヒット」’68年8月        *唯一のR&Bカブァー・アルバム


 ボルテイジがR&Bなら、GSになってもロカビリー色に拘ったのが、ヴァン・ドッグスである。前身が、1959年に結成された岡田朝光とキャラバンというロカビリーバンドだった。’63年にシャープ・ホークスのバックとなり、その後エレキバンドとして活躍していた。’67年4月”熱い砂”のレコードデビューにあたり、バンド名をGSらしいヴァン・ドッグスに改名した。”ヴァン”という名のブルドッグがトレードマークでステージでも連れて歩いたという。
このバンドの特徴は、サウンド的にはオルガンに味付けがあり、泥臭いビートが売りであった。

 自分は、このバンドをリアルタイムでは知らなかったが、CDで聞いた彼等のラストシングルの”別れのバラ”が好きだった。歌謡バラード屈指の名曲だと思う。


      ヴァン・ドッグスのシングル・ディスコグラフィー

1.「熱い砂/哀愁のキャラバン」’67年4月
2.「ヘイガール/天使は眠らない」’67年8月
3.「雪国の誓い/熱い涙」 ’68年2月
4.「別れのバラ/ロンリー・ナイト」 ’68年7月

      ヴァン・ドッグスのアルバム・ディスコグラフィー

1.「走れヴァンドッグス」’67年7月
2.「花のサンフランシスコ<ポピュラーヒッツ’67>」’67年12月 *2枚ともインスト


 フローラルは、1966年結成され、後にエープリルフールへ行く小坂忠が、在籍したバンドである。モンキーズ・ファン・クラブ日本支部が公募したオーディションに合格し、’68年8月”涙は花びら”でレコードデビューした。
 フローラルは、シングル2枚で解散し、小坂は、’69年にキーボードの柳田ヒロ細野晴臣、松本隆らを加え、ニューロックバンドのエイプリル・フールを結成した。その後ゴスペル・シンガーとして活動し、現在もシンガー・ソングライターとして活躍している。

 自分は、リアルタイムでこのバンドも知らなかったが、CDで聞くと柳田のキーボードを中心としたプログレっぽい実力派だと感じた。彼等も遅れてきたGSだと思った。アルバムは出していない。


      フローラルのシングル・ディスコグラフィー

1.「涙は花びら/水平線のバラ」’68年8月
2.「さまよう船/愛のメモリー」’68年10月

 
 3グループとも個性的な、自分たちの音楽に拘りを持った実力派B級バンドであった。

日本のGSの歴史 18
2009/ 06/ 12 ( Fri ) 20:29:52
洋楽のカヴァーでデビューしたGS対決、タックスマン対サン・フラワーズ対ダウン・ビーツ

タックスマン


 洋楽をカヴァーして、オリジナルより評価の高かった例は、カーナビーツの”好きさ好きさ好きさ”(オリジナルはゾンビーズ)が有名であるが、オランダのデュオグループ、ジェスとジェイムズの”恋よ恋よ恋よ”をカヴァーしたタックスマンもカーナビーツに勝るとも劣らないと言える。
 実際、ジェスとジェイムズはほとんど無名に近いし、曲も本国でもそれ程ヒットしていない。演奏だって、タックスマンのほうが断然上手い。タックスマンは、間違いなくビーバーズフォー・ナイン・エースと並ぶB級きっての実力派GSである。
 現にこの3つのグループの出身者が集まり、ニューロックの旗手であり伝説のバンドフラワー・トラベリング・バンドは生まれている。
フラワー・トラベリング・バンドは、元フォー・ナイン・エースのジョー山中(ボーカル)、元ビーバーズの石間秀樹(ギター)、元タックスマンの上月ジュン(ベース)、元フラワーズの和田ジョージ(ドラムス)の4人によって1970年に結成された。

 タックスマンのデビュー・シングルは、A・B両面ともカヴァーであるが、A面の”恋よ恋よ恋よ”は、日本語の詩で自分たちの曲のごとく、歌い上げている。オリジナルより、ずっと迫力もテンポも良い。ドラムスもギターも見事なテクを披露している。B面は、ニール・セダカの名曲、”恋の片道切符”を、これは原曲を忠実に英語で歌っている。
 その他、彼等の曲の中では、3枚目のシングル”ヨットと少年”が、特筆ものだ。淡い夏の恋を偲ぶ青年の姿が目に浮かんでくる。B級GS屈指の名曲だと思う。4枚のシングルを発表しただけで、アルバムは出さなかった。自分は、デビューシングルのみ購入し、あとは、”カルトGSコロムビア編”という3枚のCDオムニバス盤で入手したが、残念ながらラストシングルのB面”愛の教え”だけは、CD化されていない。


      タックスマンのシングル・ディスコグラフィー

1.「恋よ恋よ恋よ/恋の片道切符」’68年3月
2.「嘆きのキング/二人の夜明け」’68年7月
3.「ヨットと少年/愛しのリナ」’68年10月
4.「チュー・チュー・ラヴ/愛の教え」’69年4月


 タックスマンのような実力派GSではないが、彼等と同じくカヴァーでデビューしたのが、サン・フラワーズである。ソロ歌手でもあった郷田哲也をヴォーカルに配し、スコット・マッケンジーの名曲”花のサンフランシスコ”の日本語詩盤でデビューした。
 日本初の「フラワー・サウンド」と言った売り込みであったが、カヴァーの訳詩にやや無理があッたし、大したヒットにはならなかった。こちらは、オリジナルの方がずっと良かった。B面も自分たちのバンド名をタイトルにした陳腐なもので曲自体もパットしなかった。結局彼等は、1枚のシングルだけで敢え無く解散した。


      サン・フラワーズ唯一のシングル

1.「花のサンフランシスコ/サン・フラワー」’67年10月  


 サン・フラワーズ同様、洋楽カヴァーの日本語詩盤でデビューしたのが、ダウン・ビーツで曲は、1957年にデビー・レイノルズが、映画、『タミーと独身者』で歌ってヒットした主題歌”タミー”であった。タイトルを”素敵なタミー”に変えている。
 この曲を彼等は、’68年2月にシングルリリースしているが、女性がヴォーカルを取る単なるコーラスグループでGSとして分類されているが、最もGSらしくないグループであった。B面の”三つの花”も先に挙げたCD”カルトGSコロムビア編”に収録されているが、この曲もパットしない。全部で3枚のシングルをリリースしているが、デビューシングルのA・B面以外は、CD化されていない。
 自分はリアルタイムでは、彼等の存在さえ知らなかったし、曲も聞いていないが、タイトルから想像するに、歌謡曲や青春コーラスソングだと思うし、とてもGSの音とは思えない。


      ダウン・ビーツのシングル・ディスコグラフィー

1.「素敵なタミー/三つの花」’68年2月
2.「愛のあらし/白い珊瑚礁」’68年7月
3.「白銀のシュプール/スキーは楽し」’68年11月


 洋楽のカヴァーでデビューした3つのグループを、シリーズ通り対決という形で書いたが、勝負はタックスマンの一人勝ちである。デビューのスタイルが同じというだけで、音楽的質も実力も明らかに他の2グループは、タックスマンの比ではない。タックスマンも人気という面では、大したことはなかったが、彼等をB級とするなら、残りの2グループはD級であろう。(C級については、後述するが人気・実力共弱いが、GSらしさを感じさせるバンドを定義付けたい。)

日本のGSの歴史 17
2009/ 06/ 11 ( Thu ) 19:52:52
元エレキバンドからのGS対決、スウィング・ウエスト対東京ベンチャーズ(シルヴィ・フォックス)対ジャイアンツ(アイドルス)

スウィング・ウエスト


 スウィング・ウエストは、1957年に結成された、寺本圭一、清野太郎、守屋浩、佐川ミツオなどを歴代の歌手として活動してきた伝統あるウエスタン・バンドである。 エレキブーム到来の1964年頃、エレキバンドに転身した。寺内タケシブルージーンズと並ぶエレキの名門である。このバンドからスパイダース田辺昭知カーナビーツ喜多村次郎が生まれている。
 その後GSブームとなり、ヴォーカルにも取組み、湯原昌幸らバンドボーイなど3人を歌手に加え、’66年7月”流れ者のギター”でシングルデビューした。
この曲は、ウエスタン調で、GSの雰囲気はなかったが、2枚目のシングル”恋のジザベル”より、前述の喜多村が抜けるなどのメンバーチェンジもあり、GSとして再スタートした。
 当初は、歌謡曲や雑誌「スキージャーナル」の企画ものシングルを出していたが、徐々にサイケな曲にも取り組み、6枚目のシングル”雨のバラード”で火がついた。この曲は、”幻の乙女”のB面だったが、彼等最大のヒット曲となり、ソロに転じてからの湯原が、セルフカヴァーして、またもやリバイバルヒットさせている。とにかく、スウィング・ウエストにとっても湯原昌幸にとっても彼等の代名詞となった曲である。

 ’69年以降は、バラードや他のGSの例に漏れず、より歌謡曲化が進んでいくが、このバンドには職人魂があり、ウエスタンもガレージもインストも歌謡曲もカンツォーネも海外のカヴァーもこなし、何でもそれなりに形にする器用さがあった。解散までに11枚ものシングルとアルバムも5枚も出している。アルバムでは、ジョンガラや勧進帳など、それなりのテクニックがなければ、演奏出来ないものまで披露している。
 残念ながらGSとしては、それ程の人気は無かったが、やはりユニークなバンドであった事は否めない。
 

      スウィング・ウエストのシングル・ディスコグラフィー

1.「流れ者のギター/待っててシンディー」’66年7月
2.「恋のジザベル/君が好きなんだ」’67年9月
3.「スキーがからだにとっついた/こんこんこなゆきこんばんは」’67年11月
4.「君の唇を/さいはての涙」’68年1月
5.「ストップ・ザ・ミュージック/心のときめき」’68年2月
6.「幻の乙女/雨のバラード」’68年5月
7.「涙のひとしずく/渚の乙女」’68年10月
8.「悲しき天使/ビー・マイ・ベイビー」’69年1月
9.「そよ風のバラード/愛の終り」’69年3月
10.「レッツ・ダンス/愛の詩」’69年6月
11.「孤独/白銀のバラード」’69年9月

      スウィング・ウエストのアルバム・ディスコグラフィー

1.「ジョンガラビート」’67年12月
2.「よされでゴーゴー」’68年1月
3.「ゴーゴー勧進帳」’68年2月
4.「ステッピン・ア・ゴーゴー」’68年5月
5.「雨のバラード/ザ・スウィング・ウエスト・オン・ステージ」’69年3月


 スウィング・ウエストと同じようにエレキバンドからGSになったのが、東京ベンチャーズである。後にサベージへ行く渡辺昌宏が、ギタリストとして参加していた。彼等は1965年に結成され、’66年11月に唯一の4曲入りレコードをリリースしている。これは、エレキによる軍歌のカヴァーであった。

 ’67年11月にメンバーを一新し、バンド名もシルヴィ・フォックスとしてGSとして再デビューした。デビュー曲”風がさらった恋人”は、テケテケエレキのガレージサウンドであったが、ヒットしなかった。解散までに3枚のシングルを出したが、レコード会社が全く地味なミノルフォンということもあり、自分も当時は知らなかった。当然アルバムは出していない。


      東京ベンチャーズ唯一のシングル

1.「A面 軍艦行進曲/あゝ紅の血は燃ゆる B面 戦友/九段の母」’66年11月  
                                       
      シルヴィ・フォックスのシングル・ディスコグラフィー

1.「風がさらった恋人/思い出が泣いている」’67年11月
2.「レッツ・ゴー・ミリタリー・ルック/流れておいで流れ星」’68年2月
3.「銀色の雨/アイ・ラブ・ユー」’68年6月


 ジャイアンツは、日本最古のGSの一つであり、1964年結成された。翼’65年9月にはエレキ歌謡の”恋愛射撃隊”でデビューした。これは、スパイダースに次ぐ早い段階でのレコード・デビューである。後に”ケメコの唄”でデビューするジャイアンツと混同されがちであるが、全く別のバンドである。
 旧ジャイアンツとしては、”恋愛射撃隊”1曲で終わり、(CDカルトGSビクター編には、未発表曲の”女の子の唄”が収録されている)’66年にはメンバーを入れ替えながらも、アイドルスというバンドに改名している。

 アイドルスは、’68年8月、ハワイアン調の”夕陽よ燃えろ”でレコードデビューし、解散までに3枚のシングルをリリースしている。その他、歌手叶修二のシングル”抱きしめて抱きしめて/いつまでも愛したい”の両面でバッキングをつけている。アルバムは出していない。


      ジャイアンツ唯一のシングル


1.「恋愛射撃隊/あと五分だけ待ってみよう」’65年9月   

      アイドルスのシングル・ディスコグラフィー

1.「夕陽よ燃えろ/まぼろしのシェラザード」’68年8月
2.「嫁ゆかば/恋の伝説」’69年4月
3.「あの日の君に/さよならは朝が来てから」’69年9月


 自分は、リアルタイムには、スウィング・ウエストは無論知っており、シングルも”雨のバラード”だけは買ったが、他のグループは皆知らなかった。CDですべて揃えて聞いたが、旧ジャイアンツの”あと五分だけ待ってみよう”や、シルヴィ・フォックスの”風がさらった恋人”などは、GSの隠れた名曲だと思った。

日本のGSの歴史 16
2009/ 06/ 10 ( Wed ) 20:02:35
B級フォーク系GS対決、サニー・ファイブ対プレイ・ボーイ

サニー・ファイブ

 サニー・ファイブリンド&リンダースを脱退した高木和来迎修二が、同志社大生等を集めて、1967年8月に結成したバンドである。彼等に対し、所属するビクターがつけたキャッチフレーズは「太陽の貴公子」であった。
ビクターでは、モップス、ダイナマイツと並ぶ3大GSとして売り出し、一時ラジオ番組の司会をこの3グループが、交代で務めていた。

 しかし、3グループの中では、モップスのサイケ、ダイナマイツのR&Bに対して、サニー・ファイブにはこれといった特徴がない。曲調は、フォーク系であり、正統派GSとも言える。出身が関西だったこともあるし、ミーハー受けすることもなく、マニア向けでもなく、地味なバンドであった。
 1967年10月、『太陽の貴公子』よろしく、”太陽のジュディー”という曲でデビューし、小ヒットたが、自分は少女趣味ながら、2枚目のシングル”白鳥のバラード”が好きだった。
3枚目のシングル”想い出の京都”は、モロ”マサチューセッツ”のパクリで、B面と併せてビージーズの影響が強く出ている。結局、この3枚のシングルのみで解散し、アルバムも出せなかった。


      サニー・ファイブのシングル・ディスコグラフィー

1.「太陽のジュディー/涙のファースト・ラブ」’67年10月
2.「白鳥のバラード/花のような少女」’68年4月
3.「想い出の京都/夜明けまで踊ろう」’68年8月


  サニー・ファイブ同様地味で、知る人ぞ知るバンドが、プレイボーイである。
ただ彼等は、独自のクールなサウンドを追求しようと試みた実力派であった。5枚のシングルをリリースしており、全体的にフォーク系のイメージを受けるが、2枚目のシングル”シュビデビでいこう”のようなカルト的な曲もある。
 2001年に発売された”カルトGSモンスターズVol.2”のタイトルも”シュビデビでいこう”になっている。このCDには、当時シングルリリースされなかった”プレイガール”、” もえる恋”、”愛の旅”の3曲も収録されており、プレイボーイのオリジナル全曲が聞ける。当時アルバムは出していない。

      プレイボーイのシングル・ディスコグラフィー


1.「帰っておくれ/マリアンヌ」’67年3月
2.「シュビデビでいこう/恋の天使」’67年7月
3.「愛しのアンジェリータ/恋をしようよ踊ろうよ」’68年5月
4.「想い出のカリフォルニア/パーティ・バイ・ザ・リバーサイド」’68年8月
5.「湖に眠るマリーの恋/シェリー」’68年11月

 サニー・ファイブもプレイボーイも地味で、リアルタイムでは自分も知らなかった。しかし、今聞くとギターの演奏もうまく、実力派GSだと思う。

日本のGSの歴史 15
2009/ 06/ 09 ( Tue ) 21:27:13
歌謡GS対決、ワンダース対ジェノバ

ワンダース

 ワンダースは、”また逢う日まで”でレコード大賞に輝いた尾崎紀世彦が在籍したコーラスグループだが、一応それらしい曲もあるのと時代の風潮からGSに分類されている。
 前にも書いたが、”また逢う日まで”は元々、ズー・ニー・ヴーの歌った”ひとりの悲しみ”を改変した曲である。ズー・ニー・ヴーの曲調は静かでゆったりしていたが、尾崎は全く変えられた歌詞を、テンポ良く迫力ある声量で歌い上げた。前者はあまりヒットしなかったが、尾崎の方は大ヒットした。

 しかし、尾崎は新人として売り出し、彼がワンダースに在籍していたことも、そもそもワンダースというバンド自体も知られていないと思う。

 ワンダースは1967年1月、コーラスグループとして結成されたが、その年の8月、シングル”明日への道”と全曲カヴァーで固めた”ニューカマー・ザ・ワンダース”というアルバムを同時リリースした。いきなりアルバムを出すというのも異例中の異例であり、GSとしては唯一である。もっともアルバムは、コーラスグループの域を出ていない。シングルの方は、GSらしさも多少出ているが、如何せん世の中GSブームの中で、彼等もGSとして扱われたのである。
69年に尾崎が脱退すると暫くして壊滅してしまった。解散後の尾崎のソロでの活躍は周知のごとく。

 彼等のオリジナル曲で、最もGSらしいのは6枚目のシングル”僕のマリア”ぐらいで、他は歌謡曲やテレビ・映画の主題歌、カヴァー曲であった。
 自分もリアルタイムでは、彼等の存在を知らず、唯一のアルバムと彼等の全シングルを網羅した”コンプリート・ワンダース”というCDで知ったのである。


      ワンダースのシングル・ディスコグラフィー

1.「明日への道/遠い思い出 」’67年8月
2.「霧と恋 /悲しくて」’67年10月
3.「赤い花びら/愛して行こう」’68年3月
4.「マサチューセッツ/ロック天国」’68年4月
5.「キャプテン・スカーレット/とべよ!エンゼル」’68年5月
6.「僕のマリア/ワン・モアー・チャンス」’68年7月
7.「グリーン・ベレー/ハトの来ない朝」’68年8月

      ワンダースのアルバム・ディスコグラフィー

1.「ニューカマー・ザ・ワンダース」’67年8月   唯一の全曲カヴァー・アルバム


 ”サハリンの火は消えず”のヒットで、ワンダースよりはずっと知名度の高いジェノバも、ロシア民謡を取り入れ反骨精神を出してはいたが、歌謡GSの代表格であった。
自分も彼等のシングルでは、この1枚のみ買ったが、異国における孤独感が伝わり、やるせなさが実に良かった。B面も良かった。
 1967年結成当初は、水戸浩二のバックバンドを勤めていたが、翼’68年2月に”サハリンの火は消えず”でレコードデビューした。のちにサハリン三部作と呼ばれる一連のシベリアサウンドものを発表したが、商業的には成功しなかった。

 クラウンからコロンビアに移籍し、ラスト・シングルとなった”帰り道は遠かった”は、ビクターのチコとビーグルスとの競作となったが、惨敗し解散した。
 クラウン時代もアルバムは出せなかったが、”カルトGSモンスターズ”というCDには、当時リリースされなかった、”ジェノバにしびれて”、”月光の歌”、”小雨のシーサイド”の3曲が収録されている。


      ジェノバのシングル・ディスコグラフィー

1.「サハリンの灯は消えず/ダイヤの涙」’68年2月
2.「いとしいドーチカ/別れた湖」’68年5月
3.「さよならサハリン/想い出のムーンストーン」’68年7月
4.「帰り道は遠かった/夢」’68年11月


ワンダースもジェノバもCD時代になってから見直された異色GSである。基本は、歌謡曲だが、中にはカルト的な曲もあり、異色GSに位置するであろう。

日本のGSの歴史 14
2009/ 06/ 09 ( Tue ) 20:25:36
ポップス界の大物が作ったバンド対決、フラワーズ対サムライズ

内田裕也とフラワーズ

 ロカビリー歌手として音楽界でのキャリアをスタートさせた内田裕也は、1960年代後半、ベンチャーズビートルズの影響で日本にグループサウンズブームが起こると、自らも更にロック色を強めた活動に転換。武道館でのビートルズ来日公演では、尾藤イサオとダブルボーカルを組み、バックバンドにはブルージーンズを従え前座を行った。 また、京都で活動していたファニーズをスカウトし渡辺プロに所属させ、東京に引き連れ、新宿ACBにて内田裕也とタイガースとして東京デビューさせた。

 ’67年には、麻生レミをヴォーカルとしてフラワーズを結成した。フラワーズというバンド名は、当時の音楽・文化的革命を『フラワームーブメント』と呼ばれていたことから、命名された。地道なライブ活動をした後、’69年”ラストチャンス”でGSとしてのデビューを果たした。

 麻生は、和製ジャニス・ジョプリンと評判になったが、デビュー曲は、完全な歌謡曲だった。前評判の高かったロックではないが、曲としては良い曲で自分は好きだ。
その後1枚のシングルとアルバム”チャレンジ!”を発表して、フラワーズは解散してしまう。2枚目のシングルも歌謡曲だったが、アルバムの方は、日本のロック黎明期の名盤とされ、海外でも高い評価を得た。全曲英語で1曲を除きすべてカヴァーで構成されている。

 内田はフラワーズ解散後も、フラワー・トラベリン・バンドを結成したり、その後も日本のロックの首領(ドン)と見なされる存在になっている。


      フラワーズのシングル・ディスコグラフィー

1.「ラスト・チャンス/フラワー・ボーイ」’69年1月
2.「ファンタジック・ガール/夜霧のトランペット」’69年11月

      フラワーズのアルバム・ディスコグラフィー

1.「チャレンジ!」’69年7月    唯一のアルバム


 内田裕也と同じく、ロカビリーの歌手だったミッキー・カーチスが結成したバンドが、サムライズである。
 一口にGSといってもロック系、フォーク系、ガレージ系、歌謡ポップス系と、色んな分野があるが、サムライズは、カテゴリーに分類できない。異色GSとして、ハプニングス・フォーズー・ニー・ヴーを書いてきたが、彼等にもジャンルはあった。サムライズはそれらとも異なる、果たしてGSかどうかもハッキリしない異色中の異色バンドである。敢えて言えば、東南アジアで活動していた期間が長いことから東南アジア系フュージョンとでも言えようか?

 ’67年10月、”風船”をリリースするが、翌月にはメンバーは渡欧し、ヨーロッパで活動している。2枚目の”太陽のパタヤ”に至ってはリリースされたことすら本人たちは知らずにいたらしい。2枚とも大したヒットをせず、自分も当時は知らなかった。
 GSのCDはすべて買っているので、”カルトGSコロムビア編VOL1~3”で始めて知った。彼等の曲は、あまり印象に残らず、自分の好みではなかった。ピアノとサックスを中心に添えたBGM風である。シャンソンとモダンジャズとクラシックを融合させたようなサウンドで、その筋からは高い評価を得ているようである。
 ’69年には、完全に脱GS化し、サムライと改名し、ロック化している。
      

      サムライズのシングル・ディスコグラフィー

1.「風船/雨のプロムナード」’67年10月
2.「太陽のパタヤ/夏の夢」’68年4月

      サムライズのアルバム・ディスコグラフィー

1.「愛のテナーサックス」’67年10月  カンツォーネ・インスト・アルバム
                       (GS時代としては、唯一のアルバム)


 フラワーズもサムライズも、ロカビリー歌手から出発した二人の大物が、作ったバンドとして騒がれた。それほど、当時の音楽シーンはGS一辺倒だったといえる。

日本のGSの歴史 13
2009/ 06/ 09 ( Tue ) 19:44:54
カルトGSの旗手対決、リンド&リンダース対レンジャーズ

リンド&リンダース

 関西GSの大御所として君臨したリンド&リンダーズは、東京ではあまり知られていなかったように思う。ジャズ・ギタリストだった加藤ヒロシが1965年8月にザ・リンドを結成し、関西ナンバーワンのエレキバンドという名声を得ていた。やがて、ヴォーカル部門を開設しこれをリンダースとした。
 エレキ部門とヴォーカル部門を合体したリンド&リンダースは、ジャズ喫茶で人気を博し、テレビ出演もこなしていた。「ナンバ一番」などのジャズ喫茶では、タイガースの前身であるファニーズが、彼等の弟バンドであった。ファニーズは、上京してタイガースになったのである。
 
 ’67年2月、リンダースの加賀テツヤのソロ名義で”ギター子守歌”をリリースした。3月にはバンド名義で加賀のコブシを聞かせた演歌調の”燃えろサーキット”をリリースしたが、2枚とも売れなかった。

 自分が、初めて彼等を知った4枚目のシングル”銀の鎖”は、情緒感溢れるバラードで、実に良かった。彼等のシングルでは、これだけを買ったが、B面も実にGSらしいサイケなガレージソングだった。この1枚のシングルが、彼等の代表作である。その後のシングルもそこそこヒットした。自分は、ラストシングルになってしまったが、トランペットをフューチャーした”夜明けの十字架”が一番好きだ。やるせない反戦歌である。歌謡曲調だが名曲だと思う。
 不思議なことに、彼等はアルバムを出さなかった。しかし、カルトGSの最高峰と言われ、加藤のギターも音楽性も素晴らしかった。
海外でも認められ、CD時代になって、シングル全曲を網羅したアルバムが発売されている。


     リンド&リンダースのシングル・ディスコグラフィー

1.「ギター子守歌/ギター子守歌 (インスト)」’67年2月
2.「燃えろサーキット/ドゥ・ザ・クラップ」’67年3月
3.「売られたギター/あした陽が昇ったら」’67年8月
4.「銀の鎖/恋にしびれて」’68年1月
5.「夕陽よいそげ/はなれぼっち」’68年5月
6.「ハ・ハ・ハ/フォー・ディズ・ラブ」’68年8月
7.「夜明けの十字架/さよならアリババ3世」’68年11月


 リンド&リンダースよりもずっとマイナーで、知る人ぞ知るカルトGSが、レンジャーズである。
 彼等は、1967年10月”恋はハートで”でデビューした泉アキのバックバンドを勤め、B面の”燃える年頃”も演奏している。 同じ頃、”星空の恋人”をリリースするが、この曲は哀愁感漂うスローバラードだった。むしろB面の”レッツ・ゴー・レインジャーズ”の方が、激情的なヴォーカルがクールな演奏とアンバランスに対比し、このバンドらしさを感じた。
 
 そして極め付けが、2枚目のシングル”赤く赤くハートが”である。宮城ひろしのコブシを回した破れかぶれの混乱を極めたヴォーカル、恐ろしさを感じさせるバックコーラス。まさに凄まじいとしか言いようがない。一度聞いたら、耳から彼の声は離れず、隠れたGS屈指の名曲だと思う。ヴォーカルの宮城ひろしは、”次郎物語”の兄役などで知られる子役だった。タップの名人でもある。
 なお、デビュー当時レインジャーズだったバンド名を、この曲からレンジャーズに変えている。

 実は自分は、リアルタイムでは、このバンドの存在すら知らなかった。CDになって、”赤く赤くハートが”を聞いて驚いた。何故、これほどのバンドや曲が、当時埋もれていたのかと。アメリカで認められてCD化になったと聞く。最近になって、当時未発表だった曲も収録したCDも出ている。

     
     レンジャーズのシングル・ディスコグラフィー

1.「星空の恋人/レッツ・ゴー・レインジャーズ」’67年10月
2.「赤く赤くハートが/サリーの瞳」’67年11月
3.「君知るや/恋するたそがれ」’68年5月
4.「ミセス・ロビンソン/サウンド・オヴ・サイレンス」’68年7月
5.「星空は乙女の祈り/恋の足音」’68年10月

     レンジャーズのアルバム・ディスコグラフィー

1.「ユア・ベスト・ポップス14」’68年7月 *唯一のインストアルバム


 リンド&リンダーズもレンジャーズも日本よりも海外で認められた実力派GSだと思う。それぞれ、いかにもカルトっぽい曲を発表しており、ガレージサウンドの両巨頭だと思う。

日本のGSの歴史 12
2009/ 06/ 08 ( Mon ) 20:10:20
B級実力派GS対決、ビーバーズ対フォー・ナイン・エース

ビーバーズ

 これまで、GSの人気先行のA級バンドを書いてきたが、GSの真骨頂は実力派のB級だと思う。ミーハーな女の子たちには、全く知られていないと思うが、マニア向けのバンドである。
B級GSの筆頭は、ビーバーズフォー・ナイン・エースであろう。
 
 ビーバーズは1967年7月、異国情緒タップリのラテン風な”初恋の丘”でデビューした。このバンドは何と言っても、虹色な音色を出すといわれた石間秀機が、ギタリストとして在籍していたことである。石間は、インド音階を駆使したラーガ奏法の、日本における先駆者にして第一人者として名を馳せた。
 ビーバーズは、ヤードバーズの影響を強く受けていたようである。彼等の唯一のアルバムでもヤードバーズの曲を2曲(”オーバー・アンダー・サイドウェイズ・ダウン”と”アイム・ア・マン”)取り上げていることからも伺える。このことから和製ヤードバーズとも謳われた。

 自分は、2枚目のシングル”君なき世界”が一番好きだが、ビーバーズ自体が最も好きなGSだったので、彼等の5枚のシングルはすべて揃えた。彼等によってムーディー・ブルースの名曲”サテンの夜”も知った。

 ”君なき世界”が、かまやつひろしの作品と知り、彼のセンスの良さに今更ながら舌を巻いた。この曲は、ギターの導入部から引き込まれ、一度聴いたら忘れられない。ブリティッシュ・ロックの臭いがした。B面の”ホワイ・ベイビー・ホワイ”も実にサイケなユニークな曲であった。3枚目のシングル”君好きだよ”も実にテンポがよく、ノル曲だ。
B面の”恋して愛して”も歌謡曲調ではあるが、哀愁感溢れる名曲だと思う。
4枚目、5枚目と歌謡曲化は進むが、良い曲である。そして、5枚目ラストシングルのB面で”サテンの夜”を日本語で歌っている。アルバムには、英語盤も挿入している。

 ビーバーズは1年で解散しているが、石間はその後、フラワー・トラベリン・バンドトランザムでも活躍し、元フィンガーズの成毛滋と共に、世界で認められるニューロックの旗手として今でも日本の音楽界の重臣足らんとしている。



      ビーバーズのシングル・ディスコグラフィー

1.「初恋の丘/ハロー!!コーヒー・ガール」’67年7月
2.「君なき世界/ホワイ・ベイビー・ホワイ」’67年11月
3.「君・好きだよ/恋して愛して」’68年4月
4.「愛しのサンタ・マリア/波うつ心」’68年8月
5.「泣かないで泣かないで/サテンの夜」’68年12月

      ビーバーズのアルバム・ディスコグラフィー

1.「ビバ!ビーバーズ」’68年6月        *唯一のアルバム


 滝イサオ司薫兄弟のツインギターが売り物だったフォー・ナイン・エースは、1967年1月、”星空を君に”でデビューした。滝は、寺内タケシ直系のギタリストである。シングル曲は情緒満点の佳曲が多い。2枚目の”星に告げよう”から、ジョー山中がヴォーカルとして参加している。B面の”涙もかれて”は、知られざる名曲だと思う。
ヒット曲は、3枚目の”ウォーキン・ザ・バルコニー”ぐらいだが、自分は、R&B調の”悲しみの果てに”が一番好きだ。泣くように歌うジョー山中のヴォーカルは感動的だ。ラスト・シングル”淋しいジェニー”もGS末期の曲としては、GSらしさを失っていない名曲だと思う。

 アルバムも2枚出しているが、シングル曲以外は、すべてインストでギターテクを聞かせている。とにかく彼等は、一般受けはせず、マニア向けの隠れた実力派だと思う。



    フォー・ナイン・エースのシングル・ディスコグラフィー


1.「星空を君に/二人の泉」’67年1月
2.「星に告げよう/涙もかれて」’67年5月
3.「ウォーキン・ザ・バルコニー/傷だらけの叫び」’67年7月
4.「悲しみの果てに/ノー・ベイビー・ナウ」’68年3月
5.「淋しいジェニー/アイシテ・アイシテ・オクレ」’69年6月


    フォー・ナイン・エースのアルバム・ディスコグラフィー

1.「ヒット・ア・ゴー・ゴー」’67年8月
2.「レッツ・ゴー童謡」’67年12月  


 ビーバーズもフォー・ナイン・エースも目指していたのは、ブリティッシュだと思う。両バンドとも活動期間が短すぎたといえよう。

日本のGSの歴史 11
2009/ 06/ 07 ( Sun ) 23:21:10
1曲でA級入りしたGS対決、パープル・シャドウズ対ズー・ニー・ヴー

パープル・シャドウズ

 パープル・シャドウズの前身は、1965年に結成されたハワイアン・バンド、ザ・バーズで、’66年にパープル・シャドウズと改名してから、都内の歌声喫茶や居酒屋などを巡業した。’68年3月発売した”小さなスナック”は、都内のスナック100件をまわるキャンペーンで人気に火が付き、ついにはオリコン2位に入る大ヒットとなった。
この1曲だけで彼等は、A級GSの仲間入りを果たしたのである。

 2枚目のシングル”ラヴ・サイン”も、自分は良い曲だと思ったが、それ程ヒットしていない。’69年11月に出した5枚目のシングル”別れても好きな人”も、彼等の曲より、より歌謡曲調にアレンジした、’80年のロス・インディオス&シルヴィア盤の方が、ずっとヒットした。オリジナルが、パープル・シャドウズだということさえあまり知られていないと思う。

 このバンドの特徴は、ハワイアン的なムード歌謡風の曲調で、今井久のギター・テクニックには定評があった。今井のギターをフィーチャーしたインスト・アルバムも発売された。
後年今井久とパープルシャドウズとして、”小さなスナックPART2”をリリースし、アルバムも出したが、売れなかった。結局、このグループは、”小さなスナック”から抜け切ることが出来なかったといえる。
 昭和末期には女性メンバーも入れたが、ムード歌謡の域を脱せず、ポップスがニューロック化していく時代の波に乗れなかった。


     パープル・シャドウズのシングル・ディスコグラフィー

1.「小さなスナック/パープル・スカイ」’68年3月
2.「ラブ・サイン/雨の星」’68年8月
3.「さみしがりや/瞳の世界」’68年11月
4.「土曜日の午後/待ってしまうの」’69年4月
5.「別れても好きな人/帰らぬ恋人」’69年11月
6.「さよならはこわくない/天使のいたずら」’71年4月

     パープル・シャドウズのアルバム・ディスコグラフィー

1.「小さなスナック/パープルシャドウズ・アルバム」’68年12月
2.「まごころ/ロマンティック・ギター・サウンド」’69年11月


 パープルシャドウズの”小さなスナック”同様、1曲でA級入りしたバンドが、ズー・ニー・ヴーで、その1曲は、1969年4月の”白いサンゴ礁”である。
 この曲は元々、彼等の2枚目のシングル”涙のオルガン”のB面であった。

 ’68年11月”水夫の嘆き”でデビューしたズー・ニー・ヴーは、元々R&Bバンドで、アルバム”ズー・ニー・ヴーの世界”などを聞くと、バタ臭く、日本人離れした独特のフィーリングを持っている。特に、町田義人のヴォーカルと桐谷浩史のオルガンは輝いていた。町田の迫力あるヴォーカルでヒットした”白いサンゴ礁”の頃は、すでにGS衰退期に入り、彼等は遅れてきた異色の実力派GSだと思う。

 4枚目のシングル”ひとりの悲しみ”は、とても良い曲だと思ったが、ヒットしなかった。後に尾崎紀世彦が、歌詞だけ変えて”また逢う日まで”でソロデビューし(尾崎もGSワンダースの出身)、大ヒットさせた。
 ”また逢う日まで”の元歌が、”ひとりの悲しみ”だということもあまり知られていないと思う。(作詞は共に阿久悠、作曲は筒美京平
この辺も”別れても好きな人”のパープル・シャドウズと似ている。

  ズー・ニー・ヴー解散後、町田はソロで活躍し、映画”野生の証明”の主題歌”戦士の休息”や”キタキツネ”の主題歌”赤い狩人”などをヒットさせている。


     ズー・ニー・ヴーのシングル・ディスコグラフィー

1.「水夫のなげき/雨上がりのサンバ」’68年11月
2.「涙のオルガン/白いサンゴ礁」’69年4月
3.「可愛いあなただから/九月の出来事」’69年9月
4.「ひとりの悲しみ/未成年」’70年2月
5.「結婚生活/草原の小屋」’71年7月

     ズー・ニー・ヴーのアルバム・ディスコグラフィー

1.「ズー・ニー・ヴーの世界/R&Bベスト・ヒット」’68年10月
2.「ゴールデン・ズーニーヴー」’69年11月
3.「ズー・ニー・ヴー・オリジナル・ヒット/可愛いあなただから」’69年12月

 
 パープル・シャドウズもズー・ニー・ヴーもそれぞれのヒット曲のため、グループのイメージが固定してしまった感がある。彼等の本当にやりたかった音楽性とは、ヒット曲ゆえ異にした感がある。前者のそれは、ハワイアンやシャンソンであり、後者はR&Bを目指したと思える。

日本のGSの歴史 10
2009/ 06/ 04 ( Thu ) 20:11:54
慶応大学生対決、ランチャーズ対フィンガーズ

ランチャーズ

 ランチャーズは1962年、加山雄三が東宝の俳優と撮影所の宣伝部のメンバーを集めて作ったバンドで、加山のバックバンドとしてスタートした。’65年に来日したベンチャーズの影響で日本でもエレキブームとなり、東宝映画・若大将シリーズでも『エレキの若大将』が封切られた。
 当初のランチャーズは、インスト中心で唄物も加山が取るヴォーカルも英語が多かった。
’67年4月加山の従兄弟である喜多嶋兄弟が参加し、第三期ランチャーズが結成されたが、メンバーは全員慶応の大学生であった。加山から独立してGSとしてスタートした。

 同年11月には、”真冬の帰り道”でレコードデビューするが、この曲が大ヒットした。いまだにカラオケなどで良く歌われる永遠の青春ポップスだ。B面の”北国のチャペル”もバロック風の雰囲気を醸し出す名曲である。
 自分は、3枚目の”シリウスの涙”まで揃えたが、さわやかなヴォーカルと美しいコーラス、心地良いギターと、クラシカルな雰囲気を漂わす癒し系な曲が多かった。


      ランチャーズのシングル・ディスコグラフィー

1.「真冬の帰り道/北国のチャペル」’67年11月
2.「教えておくれ/愛のささやき」’68年3月
3.「シリウスの涙/想い出のジュリエット」’68年6月
4.「不機嫌な水溜り/HELLO! BABY MY LOVE」’68年12月
5.「砂のお城/雲を追いかけて」’69年6月
6.「マドレーヌ/昔も現代も真実はこれにつきる」’70年3月

      ランチャーズのアルバム・ディスコグラフィー

1.「フリー・アソシエイション」’68年11月
2.「OASY王国」’69年9月


 ランチャーズと同じく、メンバー全員が慶応の大学生だったバンドがフィンガーズである。70年代のスーパーギタリストと謳われた成毛滋は、ブリヂストン創業者である石橋正二郎の孫である。
成毛は、慶応技術元衆議院議長・石井光次郎の孫、朝吹誠や詩人・斎藤茂吉の孫、斎藤茂一、ドラマーの高橋幸宏の兄である高橋信之らとフィンガーズの前身であるThe cool boysを結成した。毛並みの良さは、GS一であろう。

 アコースティックギターを弾いていた成毛だったが、この時期に見た映画でシャドウズに出会い、エレクトリックギターに転向している。バンド名もメンバーも何回か変わったが、彼がベンチャーズのナンバーを練習中にギターの二弦を上に押し上げてピッチを高くする奏法を発見(いわゆるベンディング)したことから、バンド名をフィンガーズとした。
 彼等はエレキ・インストバンドとして実力をつけ、高い人気と演奏力を得た。1966年にはフジテレビの「勝ち抜きエレキ合戦」に出場。四週連続で勝ち抜き、グランド・チャンピオンとなる。さらに、同年の「歴代グランド・チャンピオン大会」でも優勝し、全国にその実力を見せ付けた。ここでの成毛は当時としては驚異的な早弾きをこなしてみせ、他のギタリスト達を愕然とさせた。

 レコードデビューしたが、3枚目のシングルまでは、インストであった。4枚目より、成毛と高橋を除きメンバーチェンジし、ヴォーカルにも取り組み、和製ビージーズ、ソフトロックと謳われたが、ヴォーカルは頼りなく、線が細かった。


      フィンガーズのシングル・ディスコグラフィー

1.「灯りのない街/悲しみの中で」’67年2月
2.「ゼロ戦/ブルー・フィンガーズ」’67年7月
3.「ツィゴイネルワイゼン/愛に向かって」’68年2月
4.「愛の伝説/天使の横顔」’68年7月
5.「少女へのソナタ/すてきなクリスティーヌ」’68年11月
6.「失われた世界/LOVE ME!」’69年6月

      フィンガーズのアルバム・ディスコグラフィー

1.「サウンド・オブ・フィンガーズ」’68年12月

 ランチャーズもフィンガーズもGS解散後にもニューロックへの道を進み、後世への道を開いた事は大いに評価されている。

日本のGSの歴史 9
2009/ 06/ 03 ( Wed ) 19:42:32
フォーク系GS対決、サベージ対アウト・キャスト

サベージ

 サベージは列記としたGSであるが、『東芝カレッジ・ポップス』などのフォークグループとして扱われることもある。多様化した和製ポップスを大衆レベルに浸透させた功績は大きい。
 まだ、日大生だった奥島吉雄を中心に結成され、「勝ち抜きエレキ合戦」に出場、確実なテクニックで優勝した。続いて「世界へ飛び出せニューエレキサウンド」でも優勝した。

 1966年7月1日、”いつまでもいつまでも”でレコードデビューし、大ヒットした。2曲目の”この手のひらに愛を”もヒットしたが、寺尾聡が抜けたこともあり、その後はパッとしなかった。
サベージ(野蛮人)という名とは対称的に優等生であり、実力とは裏腹に地味な存在だった。GS特有のワイルドさにも欠けていた。
 しかし、”いつまでもいつまでも”は、いまだに歌われ続けている永遠の歌謡ポップスである。


      サベージのシングル・ディスコグラフィー

1.「いつまでもいつまでも/恋の散歩道」’66年7月
2.「この手のひらに愛を/星のささやき」’66年10月
3.「夜空に夢を/明日に向って」’67年2月
4.「渚に消えた恋/青い海と白いヨット」’67年6月
5.「哀愁の湖/ばらの香り」’67年10月

      サベージのアルバム・ディスコグラフィー

1.「この手のひらに愛を/ザ・サベージ・アルバムNo.1」’66年11月
2.「ゴー!スパイダース、フライ!サベージ」’67年3月
                          (A面はスパイダース、B面がサベージ)


 アウト・キャストは実力がありながら、サベージ以上に地味で人気が出なかった。しかし、GS時代が終わった後に、カヴァーの”のっぽのサリー”や2枚目シングルのB面だった”電話でいいから”などが、主に海外から、『日本最古のガレージパンク』と再評価され、未発表曲などまでCDによる再編集版に収録されるに至っている。

 1966年の春、水谷淳轟健二が中心になってバンド結成し、’67年1月にレコードデビューしたにもかかわらず、彼等は’68年3月にはアウト・キャストを脱退し、新たにアダムスを結成している。4月からメンバーを入れ替え、新生アウト・キャストとして再スタートしたが、’69年には、活動を終えている。

 ガレージ色の強い曲もあるが、発売されたシングルを見る限り、サベージと似たフォーク形の曲が多かった。自分が買った5枚目の”愛なき夜明け”は、GS歌謡屈指の名曲だと思う。


     アウト・キャストのシングル・ディスコグラフィー

1.「友達になろう/気ままなシェリー」’67年1月
2.「愛することは誰でもできる/電話でいいから」’67年4月
3.「レッツ・ゴー・オン・ビーチ/エンピツが一本」’67年7月
4.「一日だけの恋/僕のそばから」’67年10月
5.「愛なき夜明け/ふたりの秘密」’68年1月
6.「空に書いたラブレター/君を慕いて」’68年6月 (新生アウト・キャスト)

     アウト・キャストのアルバム・ディスコグラフィー

1.「君も僕も友達になろう」’67年11月

 サベージもアウト・キャストも地味ながら実力派GSであり、曲調はフォーク系が多かった。マニアに受けたバンドであった。

日本のGSの歴史 8
2009/ 06/ 02 ( Tue ) 20:56:05
ニューロックの旗手対決、ゴールデン・カップス対ハプニングス・フォー

ゴールデン・カップス

 数あるGSの中で、最もバタクサイバンドが、ゴールデン・カップスであった。
メンバーの中で、ハーフはケネス伊東エディ蕃だけだったが、全員ハーフと言うことで売り出した。
彼等は、異国ムードを醸し出す雰囲気を持っていた。実際、演奏も日本人離れしたテクニックを持った実力派であり、演奏力とは無縁な歌謡GSや企画もののアイドル系GSの多かった中で、異色の本格派GSであった。

 自分はGSのシングルしか集めていなかったが、カップスだけは、1枚目と2枚目の2枚のアルバムを買った。洋楽の名曲も彼等で知ったものが多かった。ヒットした”長い髪の少女”や”愛する君に”は、むしろ彼等の曲としては、異色であり、もっぱらブルースを基調としたロックを好んでレパートリーとしていた。洋楽を自分たちの曲のごとくアレンジし、オリジナルと思わせる才能を持っていた。他のGSにはない日本人離れしたテクニックとフィーリングを持った異色のGSであった。
 
 1967年6月のデビュー・シングル”いとしのジザベル”からして、異国ムードが漂っていた。自分は、2枚目の”銀色のグラス”こそ彼等にあっている曲だと思った。6枚目のシングルまで買い集めたし、自分がアルバムを買った唯一のGSであった。
 何度もメンバー・チェンジを繰り返し、元カーナビーツアイ高野柳ジョージまでメンバーだったこともあったが、’71年に解散している。


     ゴールデン・カップスのシングル・ディスコグラフィー

1.「いとしのジザベル/陽はまた昇る」’67年6月
2.「銀色のグラス/ドゥー・ユー・ノー・アイ・ラヴ・ユー」’67年11月
3.「長い髪の少女/ジス・バッド・ガール」’68年4月
4.「愛する君に/クールな恋」’68年9月
5.「過ぎ去りし恋/午前3時のハプニング」’68年12月
6.「本牧ブルース/4グラムの砂」’69年2月
7.「ルシール/君は僕に首ったけ~孤独の叫び」’69年5月
8.「蝶は飛ばない/もう一度人生を」’69年7月
9.「にがい涙/悪魔に騙された」’70年5月
10.「人生は気まぐれ/たったいちどの青春」’71年11月

     ゴールデン・カップスのアルバム・ディスコグラフィー

1.「THE GOLDEN CUPS ALBUM」’68年3月
2.「THE GOLDEN CUPS ALBUM VOL.2」’68年9月
3.「ブルース・メッセージ」’69年3月
4.「スーパー・ライヴ・セッション」’69年8月
5.「ザ・ゴールデン・カップス・リサイタル」’69年10月
6.「ザ・フィフス・ジェネレーション」’71年1月
7.「ライヴ!! ザ・ゴールデン・カップス」’71年10月


 カップスと並ぶニューロックの旗手は、ハプニングス・フォーである。多くのGSがギターを前面に出したのに対し、彼等はギタープレイヤーを置かず、キーボードとドラムスというリズムセクションを前面に打ち出した異色のバンドであった。
 コマーシャル路線には一切乗らず、シングルは職業作家の作品を歌うバンドが多かった中で、オリジナルにこだわり続け、作詞・作曲は全曲クニ・河内の作品である。

 ’67年11月のデビュー曲”あなたが欲しい”を初めて聞いた時、透き通るようなヴォーカルとキーボード、美しいストリングスに感動した。イントロの導入部から彼等の世界へ引き込まれる。これまでのGSにはなかった感動である。自分が買ったシングルは、この1曲であるが、2曲目の”君の瞳をみつめて”も哲学的で素晴らしかった。その他の曲は、自分の好みではなかった。中学生の自分には、彼等の曲は難解であった。

 音楽性の幅の広さも彼等の特徴で、ラテン、バロック、フォーク、R&B、クラシックなどとロックの融合を図り、独自の世界を作り出した。神秘的なグループであった。
CD時代になって彼等のアルバムがCD化され再評価された。当時は、彼等の音楽性が早すぎたといえよう。

     ハプニングス・フォーのシングル・ディスコグラフィー

1.「あなたが欲しい/何故?」’67年11月
2.「君の瞳をみつめて/あなたの側で」’68年3月
3.「アリゲーター・ブガルー/すてきなブーガルー」’68年5月
4.「夜明けのバラード/何も云わないで」’68年12月
5.「あの夢からさめて/誓いのフーガ~エリナー・リグビー」’69年5月
6.「命短し/青春」’69年11月
7.「恋人たちの願い/永田町への道」’70年7月
8.「引潮・満潮/長い旅」’71年9月

     ハプニングス・フォーのアルバム・ディスコグラフィー

1.「マジカル・ハプニングス・ツアー」’68年7月
2.「クラシカル・エレガンス~バロック&ロール」’69年5月
3.「アウトサイダーの世界」’70年7月
4.「引潮・満潮」’71年8月


 カップスもハプニングス・フォーも、GS衰退期以降もニューロックの走りとしてバンド活動を続けた。両バンドのスタイルは全く異なっていたが、多くのミュージシャンに多大なる影響を与えたことは共通している。

日本のGSの歴史 7
2009/ 06/ 02 ( Tue ) 19:43:35
最もGSらしいGS対決、オックス対シャープ・ホークス

オックス

 オックスといえば『失神騒動』と言われたが、ステージ上での『失神パフォーマンス』は、社会現象と言っていいほど名を馳せた。メンバーの『失神』はあくまで演技であったが、熱狂的なファンが触発され、コンサート会場では彼等の演奏で実際の失神者が続出した。
 オックスは、派手な衣装とパフォーマンス、アイドル的容姿とリード・ヴォーカルの切ない歌声が、若い女の子を熱狂させ、タイガースやテンプターズに勝るとも劣らない人気グループであった。

 後に真木ヒデトとして演歌歌手に転向する当時野口ヒデトのヴォーカルはともかく、演奏は上手いとは言えなかった。しかし、最もGSらしい雰囲気を持っていたグループと言える。
GSの実力派はB級に多いが、オックスはまぎれもなく、人気先行のA級バンドであった。

 オックスは、1968年5月”ガール・フレンド”でデビューした。GSの第一期をスパイダースブルーコメッツ、第二期をタイガーステンプターズとするなら、オックスは第三期を代表する遅れてきたGSであり、最後の大物バンドと言える。
デビュー曲”ガール・フレンド”は、GS特有の「星」や「お城」が歌詞に使われ、メルヘンチックな夢の世界を演出している。
 
 ’68年には、”ダンシング・セブンティーン”、”スワンの涙”とヒットを続け、ピークに達したが、’69年には、既にGSの衰退期に入っていた。4月には、”僕は燃えている”で燃えた彼等は、6月に”ロザリオは永遠に”と、永遠を謳ったが、この年後半には、”神にそむいて”、”許してくれ”というタイトルが続き、”僕をあげます”と、身売りし、ラスト・シングルでは、”もうどうにもならない”ということで、解散してしまった。まるでGSの終焉を意識したかのように、出すレコードのタイトル通りの道を歩んでいってしまうのだ。偶然とはいえ、タイトルにこのバンドのドラマを感じた。

 自分は、3枚目までのシングルしか買わなかったが、”スワンの涙”は、GS歌謡きっての名曲と言われている。しかし、この曲でこれから彼等が進む歌謡路線が決定づけられ、真木ヒデトという演歌歌手誕生の布石にもなったと思う。


      オックスのシングル・ディスコグラフィー


1.「ガール・フレンド/花の指環」’68年5月
2.「 ダンシング・セブンティーン/僕のハートをどうぞ」’68年9月
3.「スワンの涙/オックス・クライ」’68年12月
4.「僕は燃えてる/夜明けのオックス」’69年4月
5.「ロザリオは永遠に/真夏のフラメンコ」’69年6月
6.「神にそむいて/夜明けの光」’69年10月
7.「許してくれ/ジャスト・ア・リトル・ラブ」’70年2月
8.「僕をあげます/花の時間」’70年5月
9.「もうどうにもならない/ふりむきもしないで」’70年12月

      オックスのアルバム・ディスコグラフィー


1.「オックス・ファースト・アルバム」’68年12月
2.「テル・ミー/ オックス・オンステージNO.1」’69年2月


 オックスは、アイドル的存在であったが、これとは対称的ながら、GSらしいGSが、シャープ・ホークスである。彼等は、結成当初演奏をしていない。GSには珍しい、歌って踊るコーラス・グループであった。バックの演奏は、シャープ・ファイブが受け持っていた。
 1966年9月、ガレージ色の強い”ついておいで”で、レコードデビューした。2枚目の”遠い渚”がヒットして名前が売れたが、シャープ・ファイブも独自の活動を始めたため、メンバーチェンジを繰り返しながら、自分たちで演奏するようになった。

 彼等はデビュー曲からして、破壊力を前面に押し出したコーラスが特徴だったようにワイルドなバンドであった。ガレージ・コーラス・グループと言った所であろう。
 オリジナル・メンバーで最後まで残ったのは、安岡力也一人だったが、自分は彼がソロを取る歌謡曲調の”ジーザス”が好きだった。声量豊かな迫力あるヴォーカルである。


     シャープ・ホークスのシングル・ディスコグラフィー

1.「ついておいで/キュン!キュン!キュン」’66年9月
2.「遠い渚/いつものところで」’66年12月
3.「若い夜/愛の土曜日」’67年4月
4.「海へかえろう/星のカーニヴァル」’67年8月
5.「レット・ミー・ゴー/ロンリー・ラヴ」’67年12月
6.「オーケイ!/テル・ミー」’68年1月
7.「ジーザス!/スオミの乙女」’68年8月
8.「この胸に十字架を/愛の砂丘」’69年4月

     シャープ・ホークスのアルバム・ディスコグラフィー

1.「ゴーゴー・シャープ・ホークス」’68年1月 
          *A面は、オリジナル、B面はカヴァーで固めた彼等の唯一のアルバム


 オックスもシャープ・ホークスもデビュー当時は、元気溌剌で、能天気ながら楽しかった。その能天気こそGSの真骨頂なのだが、どのバンドにも共通して言えることだが、下降線をたどっていくと歌謡曲化していく傾向であった。段々持ち味がなくなっていき、解散に追い込まれると言うパターン。この辺が、海外のバンドとの大きな違いである。日本のGSのラストは、悲惨なものであった。
海外のバンドは、音楽的発展を前提とした解散が多かった。

日本のGSの歴史 6
2009/ 06/ 01 ( Mon ) 19:44:53
R&B対決、モップス対ダイナマイツ

モップス

 モップスは、日本のサイケデリック・ロックにおける草分け的存在として知られる。1967年11月にシングル”朝まで待てない”でデビュー。数あるGSの中でも異色の存在として知られた。’70年以降のGSブーム退潮後は、日本のロックの草創期、いわゆる「ニューロック」のバンドとして活動を続け、’74年5月に解散した。
 ”朝まで待てない”を始めて聞いた時、ぶっ飛んだ。日本のGSにはない曲調と音だった。作曲は、村井邦彦だったが、異国ムードたっぷりで、モップスの雰囲気にピッタリだった。
アニマルズを思わせるサイケ調の神秘さを覚えた。
 GSは、スパイダースジャガーズに代表されるように、ビートルズローリング・ストーンズというより、アニマルズの影響を受けていると強く感じた。
事実、モップスもアルバムの中で”朝日の当たる家”を取り上げている。

 彼等は、メンバーが揃いのユニフォームではないヒッピー風ファッションを身に纏ったり、報道陣を集めLSDパーティーを主催してみたりという話題作りにもことかかなかった。

 自分は、”朝まで待てない”をすぐ買ったが、B面の”ブラインド・バード”も実に良かった。モップスで買ったレコードはこれのみだった。
この曲もサイケ調で、自分好みだったが、歌詞に放送禁止用語が含まれているために、最初のアルバム”サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン”(1968)にも、これ以後のベストアルバムなどにも収録されていない。CDの音源を捜して、海外の海賊版キャプテン・トリップの”シェリルのサイケデリック世界一周 アジア編”に入っていたので入手した。


      モップスのシングル・ディスコグラフィー
 
1.「朝まで待てない/ブラインド・バード」’67年11月
2.「ベラよ急げ/消えない想い」’68年3月
3.「お前のすべてを/熱くなれない」’68年8月
4.「眠り給えイエス/週末の喪章」’69年11月
5.「ジェニ・ジェニ'70/パーティシペイション」’70年5月
6.「朝日のあたる家/ボディー・アンド・ソウル」’70年8月
7.「御意見無用/アローン」’71年1月
8.「月光仮面/アジャ」’71年3月
9.「森の石松/まるで女の様に」’71年9月
10.「なむまいだあ─河内音頭より─/サンド・バッグの木」’72年2月
11.「雨/迷子列車」’72年5月
12.「たどりついたらいつも雨ふり/くるまとんぼ・アンドロメダ」’72年7月
13.「フーズ・フー・イン・マイ・ライフタイム~人生の香り/同英語版」’72年11月
14.「御用牙/御用牙(牙のテーマ)」’72年12月
15.「気楽に行こう/オー・ダーリン」’73年1月
16.「晴れ時々にわか雨/俺らの追分」’73年3月
17.「あかずの踏切り/生まれた時から王様だった」’73年12月

                   *GSの音は、4枚目まで。後は、カヴァーとニューロック

      モップスのアルバム・ディスコグラフィー

1.「サイケデリック・サウンド・イン・ジャパン」’68年4月
2.「ロックンロール'70」’70年6月
3.「御意見無用(いいじゃないか)」’71年5月
4.「雷舞」’71年10月
5.「雨/モップス'72」’72年5月
6.「モップスと16人の仲間」’72年7月
7.「モップス1969~1973」’73年6月
8.「ラブ・ジェネレーション/モップス・ゴールデン・ディスク」’73年10月
9.「イグジット」’74年7月

                   *GSの音は、1枚目のみ。


 モップスとよく対比されるのが、ダイナマイツである。両グループともビクターより同時期にデビューしているし、R&B志向が高かったからである。ダイナマイツは、米軍キャンプやジャズ喫茶を中心に活動していた頃、ローリング・ストーンズやゼムを好んでレパートリーにしていた。
 レコードデビューは、モップスと同じ”67年11月、”トンネル天国”である。この曲は、鈴木邦彦の作品だが、後世に残る和製ガレージ・パンクの古典として評価されている。
 
 モップスの”朝まで待てない”同様、”トンネル天国”もこれまでにない斬新さであった。村井邦彦にしろ鈴木邦彦にしろ、単なる歌謡曲の作曲家ではなく、洋楽の雰囲気を充分に持っており、世界に通用する片鱗を感じさせる。B面の”恋はもうたくさん”もGSきっての名曲である。
 ダイナマイツは海外でも認められ、特に黒っぽいフィーリングを持つヴォーカル瀬川洋と山口冨士夫のギターテクは、各方面に多大な影響を与えた。
 ’69年末にダイナマイツは解散したが、その後も瀬川はソロ活動、山口は伝説のバンド、村八分に参加している。

 自分はデビュー曲よりも、よりサイケ色が強い3枚目の”真夏の夜の動物園”の方が好きだった。動物の鳴き声を取り込んだ異色なこの曲は、GSの曲の中でも最も好きな曲の1曲である。実際、邦楽でこれほどの曲があったのかという感動さえ覚えた。
 ダイナマイツは、日本よりも海外で認められているようで、日本では過小評価されていると思う。


      ダイナマイツのシングル・ディスコグラフィー

1.「トンネル天国/恋はもうたくさん」’67年11月
2.「ユメがほしい/大人の戦争」’68年4月
3.「真夏の夜の動物園/毛皮になったしま馬」’68年7月
4.「恋は?/世界中にほほえみを」’68年9月
5.「バラと悪魔/夢でもいいさ」’69年6月

      ダイナマイツのアルバム・ディスコグラフィー

1.「ヤングサウンド・R&Bはこれだ!」’68年8月

 モップスもダイナマイツも他のGSにない独自の雰囲気を持っており、サイケあるいはガレージ・サウンドの一人者であった。特にダイナマイツは自分にとって、ビーバーズと並んで好きなバンドであった。

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