アングラおよびコミックバンド対決、イーグルス対トーイズ対スカイ・ホークス対バロン対ルート・ファイブ対ロビンフッズ対レンチャーズ
GSの末期は、歌謡曲化するかアングラやコミックバンドに走ったバンドが多かった。
しかし、アングラを代表する
フォークルの”
帰って来たヨッパライ”は、GS全盛期にヒットしており、これに追随した
ダーツの”
ケメ子の歌”と
ジャイアンツの”
ケメ子の唄”で最高潮に達した事は以前にも述べた(ケメ子対決)通りである。こういったアングラを最初から掲げてデビューしたGSも多い。
イーグルスは1966年に東京・日野の高校生によって結成された
チェックメイツがその前身である。立川のジャズ喫茶「ドミノ」にレギュラー出演していた。’68年4月に”
昭和二世”というアングラ曲でデビューした際、イーグルスに改名された。
続いてオムニバスアルバム”
アングラ・カーニバル”に参加したが、この頃には既にアングラブームは去っていた。
つまらない歌詞に惑わされ気味だが、イーグルスにはガレージに通ずる妙なビート感と若さが溢れていた。シングルは1枚のみだが、”アングラ・カーニバル”に収録されている彼等の曲は、”
高校五年生/咲かせて頂戴愛の花/結婚してチョ/好きだったペチャ子/あー神サマ”である。その他、”好きだったペチャ子”の元バージョンでシンプルなガレージ・フォークロックである”
あの日の恋”がCD化されている。
イーグルス唯一のシングル1.「昭和二世/青春ゴーゴー」’68年4月
知る人ぞ知る実力派GSが、
トーイズである。彼等は、大映レコード唯一のGSであった。インドネシア人の慶応大学院生
ルディ・アブドをヴォーカルに擁し、
長岡和幸のギターは出色であった。シングル1枚で解散したが、両面で聞かせる長岡の早弾きギターには、鬼気迫るものがある。アングラでなければ、B級GSとして充分通用する実力派であったと思う。
トーイズ唯一のシングル1.「お宮さん/しょんがらゴーゴー」’68年3月
スカイ・ホークスもアングラGSにしておくのはもったいなかった。”帰って来たヨッパライ”のアンサーソングとして”
天国からのお迎え”でデビューするが、B面の”
リボンの娘”は、GSらしい名曲で、彼等もB級実力派で通用すると思う。1枚のシングルで解散し、
チェックメイツというバンドになったが、当時この名前のバンドがやたら多いので混同してしまう。
スカイ・ホークス唯一のシングル1.「天国からのお迎え/リボンの娘」’68年5月
バロンの前身は、尾藤イサオのバックバンドを務めていた
ジュリーとバロンで、
鍵山珠理をヴォーカルに迎え”
ブルー・ロンサム・ドリーム”でデビューしている。純粋にバンド単独でデビューした曲は、”
恋の億万長者”というコミックソングであった。(B面は
サイモン&ガーファンクルのカヴァー)結局、両方とも1枚のシングルで解散している。
ジュリーとバロン唯一のシングル1.「ブルー・ロンサム・ドリーム/涙で書きたい」’69年6月
バロン唯一のシングル1.「恋の億万長者/コンドルは飛んで行く」’70年11月
ルート・ファイブのデビュー曲も”
俺は天下の色男”というしょうもないタイトルのアングラ曲だが、B面の”
リリー”は、GSらしい名曲である。
彼等もこのシングル1枚で終わった。
ルート・ファイブ唯一のシングル1.「俺は天下の色男/リリー」’68年7月
ロビンフッズも1枚のシングルしか出していないが、両面ともアングラソングである。A面は、先に挙げた”アングラ・カーニバル”にB面は”
カルトGSコロムビア編”に収録されている。
ロビンフッズ唯一のシングル1.「落第生バンザイ/貫一お宮の唄」’68年3月
全く正体不明のアングラGSが、レンチャーズである。レコードのジャケットにもメンバーの写真が出ていないし、各メンバーのプロフィールも発表されなかった。売れても番組などには出ず、テープだけで押し通すというプロジェクトだったが、メンバーを呼んでくれる番組などなかった。
自分は、”アングラ・カーニバル”で彼等を知ったが、怪獣寸劇が導入されたしょうもない曲であった。
レンチャーズ唯一のシングル1.「「サイケ・カッポレ/ミックスモンスターズ」
GSフリークを自認しているが、ここに挙げたアングラGSは、すべてCDになってから聞き、リアルタイムではバンド名さえ、一つとして知らなかった。